ユネスコ世界文化遺産

海印寺蔵経板殿(1995年指定)

Haeinsa Janggyeong Panjeon(Designated 1995)海印寺蔵経板殿の内部

海印寺蔵経板殿は、ユネスコ世界文化遺産に登録されている海印寺大蔵経板(八万大蔵経)を保管するために建てられた建物で、海印寺内にある仏殿のうち現存する建物の中でも最古ものとして15世紀に建立されたと考えられています。

大蔵板殿は世界で唯一、大蔵経板を保管する建物ということで特別な意味があるとされています。また、建物そのものが通気性に優れ、それぞれ温度、湿度の調節が図れるよう科学的に設計されており、今日まで大蔵経板を無事に保存してきたことから、その価値が認められ、建物自体に相当な価値があるものとして評価されています。

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宗廟(1995年指定)

宗廟(1995年)宗廟の正殿

ソウル特別市鍾路区にある宗廟(チョンミョ)は、朝鮮時代の歴代の王と王妃の位牌が祀られている祠堂です。王が国家と百姓の安寧を祈願するため、臣下とともに定期的に祭祀に参席した場所で、朝鮮の王室の正統性の象徴となっています。亡くなった人のための建築物であるため、建物の配置や形式には落ち着いた美しさや神聖さ、厳粛さなどが感じられます。

14世紀末に創建された宗廟は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに焼失しましたが、17世紀初めに再建されて現在の姿になりました。中心の建物である正殿は正面が大変長く、建物前の庭とひとつになっており、西洋はもちろん東洋でも類を見ない建築物として知られています。先祖を崇拝する儒教文化により、祭祀の儀礼を基に厳格に建てられ、現在もその姿が昔のままに保たれています。建築物とともに祭祀、音楽、舞踊、飲食などの無形遺産がともに保存されており、今日まで宗廟祭礼と呼ばれる祭祀儀礼が定期的に行われています。

主な見どころ

  • 下馬碑下馬碑
  • 正殿の柱正殿の柱

宗廟の正門前に建っている下馬碑(ハマビ)は、馬から下りよという意味の石碑です。宗廟は歴代の王と王妃の位牌が祀られた場所であるため、王ですら輿車を降りたり下馬したりしなければなりませんでした。正殿は横幅が101mで、韓国一長い木造建築です。外から見ると20本の柱と19の扉がありますが、内部はすべてつながっており、位牌を祀る太室(テシル)のみ華やかな模様が施されています。残念ながら正殿内部は一般公開されていませんが、宗廟の香大庁(ヒャンデチョン)がある第2展示館に太室が再現されています。

正殿に通じる門は3ヶ所あります。南門は霊魂のみが出入りできるところで、東門は王や世子、祭礼を執り行う王の親戚、臣下が使用し、西門は祭礼音楽と舞踊を担当する楽工(アッコン)が使用していました。

  • 宗廟の永寧殿宗廟の永寧殿
  • と永寧殿の石碑永寧殿の石碑

正殿に位牌を祀る場所が足りなくなったために横に建てられたのが永寧殿(ヨンニョンジョン)です。永寧殿には「王家の祖先と子孫がともに末永く平安であれ」という意味が込められています。永寧殿は正殿に比べて規模が小さく、安置されている位牌数も多くありません。建物は正殿と似ていますが、よく見ると屋根の形が異なっています。正殿は屋根全体が一直線ですが、永寧殿は中央の太室のところが突出しています。

永寧殿には大きな業績を残せなかったり、在位期間が短かった王の位牌が主に祀られています。幼くして王位に就いたものの、叔父に王位を奪われた端宗(タンジョン)の位牌は宗廟に祀られていますが、廃位となった王である燕山君(ヨンサングン)と光海君(クァンヘグン)は位牌がありません。儒教で重視する「先祖に対する恭敬」を実践しなかったからです。

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石窟庵・仏国寺(1995年指定)

石窟庵仏国寺

石窟庵(ソックラム)仏国寺(プルグクサ)は8世紀前後の統一新羅時代に作られた古代仏教遺跡です。この2つの遺跡は新羅時代の人々の創造性豊かな芸術的センスが窺えるもので、中でも石窟庵の彫刻像や仏国寺の石造りの基壇および2基の石塔は、東北アジアの古代仏教芸術の傑作のひとつと評価されています。

石窟庵は花崗岩を重ねて造られた洞窟で、主室の中央に本尊が安置され、その周りの壁面に様々な彫刻像が配置されています。本尊を始め、ほとんどの石造彫刻と建築の形態は8世紀の原形のまま保たれており、大変価値のある文化遺産です。

仏国寺は新羅の理想郷である仏国土を実体化するために造られた建築物です。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)により木造建築はすべて焼失してしまいましたが、幸いにも石段、石橋、石塔、灯篭、青銅の仏像は無事でした。今日見られる仏国寺の建築物は、1969年から1973年の間に行われた復旧作業で部分的に再建されたものです。

主な見どころ

  • 石窟庵の本尊石窟庵の本尊
  • と十大弟子浮彫像十大弟子浮彫像

石窟庵の本尊は高さ約3.3m、幅約2.7mの巨大な仏像です。以前の仏像は立って微笑んでいるものがほとんどでしたが、石窟庵の本尊は威厳のある顔つきで座っています。厳かな表情から袈裟のシワにいたるまで細かく彫刻されたこの仏像は、きらびやかであった統一新羅の仏教文化の象徴とされています。

石窟庵の十大弟子浮彫像は世界の仏教美術史でも珍しい大型の彫刻像です。この彫刻像は特徴ある表現と芸術性で高く評価されており、それぞれの役割を遂行中である10人の弟子の彫刻は生命感に溢れています。一番小さい弟子像は高さ2.08m、一番大きなものは高さ2.2mになります。

  • 仏国寺の釈迦塔仏国寺の釈迦塔
  • と多宝塔多宝塔

仏国寺の大雄殿の前庭には2つの石塔があり、西側にあるものが釈迦塔(ソッカタプ)で、この塔は無影塔(ムヨンタプ)とも呼ばれています。新羅時代の典型的な石塔の形式をしており、簡潔で荘重、そして全体的なバランスがよく、安定した印象を与えます。

仏国寺の大雄殿前の東側にある多宝塔(タボタプ)は、既存の新羅の石塔とはまったく異なった形式となっています。創建されてから大きな破損や外形の変化がなく、原形のまま保たれており、仏教の経典にある七宝塔(チルボタプ)の形態を現実に再現したものと見られます。釈迦塔と多宝塔はそれぞれ違った形をしていますが、石塔の底石の幅や基壇、塔身部の高さが等しく作られています。

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昌徳宮(1997年指定)

昌徳宮仁政殿昌徳宮仁政殿

昌徳宮(チャンドックン)は漢陽(現在のソウル)の北に建てられた朝鮮時代(1392~1910)の宮廷です。他の宮廷が王の権威を象徴するために建てられたものだとすると、昌徳宮は周辺の自然環境との調和に重きを置いて建てられたものであると言えます。王室の庭園である後苑もまた、その風景が一枚の絵のように美 しく、自然な状態に近い空間として有名です。昌徳宮は現在残されている宮廷の中でも原型の保存状態が良く、自然と伝統建造物の調和が取れていることから、1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。森と木、池、あずま屋、そして花壇と、それぞれがバランスよく配置された昌徳宮には、昌徳宮仁政門と仁政殿、熙政堂、昌徳宮大造殿、芙蓉池、楽善斎、敦化門などが主要文化財に指定されています

主な見どころ

  • 昌徳宮仁政門昌徳宮仁政門
  • と仁政殿の内部仁政殿の内部

昌徳宮仁政門は昌徳宮の中心の建物である仁政殿の正門です。王位継承の儀式が行われていた場所で、朝鮮王祖の宮廷の威厳を保つ建築物です。孝宗(在位1649~1659)、顕宗(在位1659~1674)、粛宗(在位1674~1720)、英祖(在位1724~1776)など朝鮮王祖の数々の君主たちがこの場所で即位式を挙行し王位に就任しました。

仁政門を通り過ぎると現れる仁政殿は世子冊封式、結婚式など王室の主要行事が執り行われた場所です。そういった理由から、昌徳宮で最も権威のある建物とされています。内部は黄色の布で装飾された電灯や西洋式のガラス窓、黄色のカーテンなど、西洋式で飾られていました。小さいながらも、美しい模様の天井と玉座から朝鮮の優れた芸術性を感じることができます。

  • 大造殿内部大造殿内部
  • と昌徳宮後苑昌徳宮後苑

昌徳宮大造殿は王と王妃の寝室兼、幼い皇子や姫を教育する場として使用されていました。国家を率いる世子を育てることで国と国民が幸せになれるという意味からその名が付けられました。ここは昌徳宮の内殿の中でも最高の建物であり、西洋式の縁側とガラス窓、家具などが備えられ、現代的な室内装飾の様相を見せているのが特徴です。

昌徳宮の北側に位置する後苑は、朝鮮時代の王室の庭園です。時代によってその用途は様々ですが、主に王と王族の憩いの場、あるいは王の武術の練磨場として使われていました。韓国の伝統庭園様式にのっとって造られており、300年を超える大きな木やあずま屋が庭園の調和を図っています。後苑は特別観覧コースのため、昌徳宮のホームページで事前予約、もしくは現地発券の後、観覧ができるようになっています。

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水原華城(1997年指定)

華城華城

華城(ファソン)は京畿道(キョンギド)水原(スウォン)市にある朝鮮時代の城郭です。正祖が自身の父である思悼世子の墓を移すにあたって新都市を建設、これを敵から守るために建てられました。城郭全体の長さは5.74km、城壁の高さは4~6mです。

華城は既存の韓国の城郭とは区別される新しい様式の城郭です。外国の事例を参考に、新たな防御施設を導入し、これを韓国の軍事的環境と地形に合わせて設置しました。特に華城建設に使用された新装備と材料の発達は、東洋と西洋の科学技術の交流を見せる重要な証拠となっています。これを通じ、18世紀の朝鮮社会の商業的な繁栄と急速な社会変化、技術の発達を推し量ることができます。

計画都市でありながら居住地と防御機能を併せ持つ、ひとつの城郭都市であるという点、伝統的な築城技法に東洋と西洋の新しい科学的な知識と技術が積極的に活用されている点、韓国の城郭には珍しく多様な防御用施設が数多く取り入れられている点、周辺の地形に合わせて自然な形に造成され、独特な美しさを持ち合わせている点などの特徴が認められ、去る1997年、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

主な見どころ

  • 華城、 八達門 華城、八達門
  • と西北空心墩西北空心墩

八達門は華城の4大門のうちの南側の門です。城を積み重ねていた当時の姿が残されており、韓国の宝物第402号に指定されました。城門の外側には半月模様の城を築いていました。これは城門を保護する役割を担うものです。華城の施設の中でも八達門は特に夜景が美しいことで有名で、現在はたくさんの観光客が訪れる場所となっています。

西北空心墩は、敵の動向を見極めると同時に攻撃も可能な施設であり、韓国では華城でのみ見ることができます。独創的な建築形態と効果的な材料の活用が見られる西北空心墩は、歴史的、学術的、建築的価値が認められ、韓国の宝物に指定されました。

  • 訪花隨柳亭訪花隨柳亭
  • 華西門華西門

訪花隨柳亭は、周辺を監視し軍事を指揮する指揮所と、周辺の自然環境との調和を図る亭子の機能を併せ持っています。これは独特な平面と屋根形態のため、眺める位置によって違った姿を見せてくれます。また、華城の中で最も優れた建築物とされ、他の城郭では見ることのできない独創的な建築物として評価を得ています。

華西門は、華城の4大門のうち西側の門として、過去に華城の西側の南陽湾と西海岸方面をつなぐ通路の役割を担っていました。完全な半月模様の八達門の甕城とは異なり、片側が開放されている甕城となっています。本来の姿のまま残されていることから、宝物第403号に指定されました。

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高敞・和順・江華支石墓遺跡(2000年指定)

富近里支石墓江華を代表する遺跡である富近里支石墓

支石墓は巨大な岩で造られた先史時代のお墓の一種で韓国には高敞支石墓遺跡和順支石墓群江華支石墓遺跡があります。この3地域には数百基の支石墓が集まっており、密集度および形式の多様性の面で世界的にも珍しい事例です。これらの支石墓遺跡は紀元前1000年に造られたとされ、世界の他の遺跡よりも先史時代の技術と社会性を見ることができます。

高敞、和順、江華の支石墓遺跡は支石墓文化の形成過程と一緒に韓国の青銅器時代の社会組織および北東アジアの先史時代の交流を研究するのにとても重要な遺産であると認められ、2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。特に支石墓の築造過程を知ることができる採石場の存在は支石墓の変更かと歴史を研究するのに重要な資料であると評価されています。

主な見どころ

  • 高敞高敞
  • 和順の支石墓遺跡和順の支石墓遺跡

韓国最大の支石墓遺跡地は全羅南道高敞です。2008年の現地調査の結果、高敞地域には全部で1,5500基あまりの支石墓があることが明らかになりました。その中でユネスコ世界文化遺産に登録された支石墓は447基です。高敞ではでは韓国で見ることのできるすべての種類の支石墓が集まっています。形と形式はもちろんのこと、大きさも多様な支石墓を確認することができます。

全羅南道和順の支石墓遺跡地は孝山里(ヒョサリ)と大蒔里(デシンリ)という地域一帯に、渓谷に沿ってあります。全体面積が江華はもちろん高敞遺跡地よりも広く、全部で596基の支石墓があります。和順にある支石墓は山のふもとや巨大な岩山などにあり、人々が近づきにくい場所に多くあるので比較的、昔からの姿で保存されています。

  • 高敞支石墓博物館高敞支石墓博物館
  • 江華支石墓遺跡を再現した先史時代の穴蔵江華支石墓遺跡を再現した先史時代の穴蔵

江華には青銅器時代に造られた支石墓のうち、120余基が残っています。江華島内にも支石墓が分布した地域の地形に差があり、これによって支石墓が造られた時期と生活基盤が違っていたことを推測することができます。江華の支石墓に使用された石材は遠くの石山や海岸から岩を採石して運搬されたものであるとされています。大型の岩を剥がし取って運搬することは簡単なことではないため、当時の社会的構造と権力構造を推測することができます。

江華の代表的な支石墓は富近里(プグンリ)にある「富近里支石墓」で、高さ2.6mの支石が長さ7.1m広さ5.6mの巨大な上石を支えているテーブル型の支石墓です。この支石墓の用途が何だったのか未だに明らかにされていませんが、大きな勢力を持った部族長の墓であるという説や祭祀儀式を行った祭壇であるという説もあります。

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慶州歴史遺跡地区(2000年指定)

the area of Daereungwon Tomb Complex大陵苑一帯

慶州歴史遺跡地区は、慶州に分布する昔の新羅時代(BC57~935年)の遺跡全体を指します。かつての首都だった慶州には、塔や王陵、山城など新羅の遺跡が集中的に分布しています。千年間続いた仏教文化と、新羅の芸術性を肌で感じられることから、その価値が認められています。

ユネスコ世界文化遺産に登録された文化財は全部で52あり、趣によって大きく5つの区域に分かれています。仏教美術の中心である南山地区、王祖の宮殿跡である月城地区、多くの古墳が分布している大陵苑地区、新羅仏教の核心地である皇龍寺地区、防御施設がある山城地区といった具合に、それぞれの性格が異なります。代表的な遺跡地としては慶州鮑石亭址慶州南山神仙庵麿崖菩薩半跏像慶州東宮と月池瞻星台、皇南里古墳群、大陵苑 (天馬塚)慶州皇龍寺址と芬皇寺があります。

主な見どころ

  • 慶州鮑石亭址慶州鮑石亭址
  • と慶州瞻星台慶州瞻星台

鮑石亭は慶州南山にある新羅時代の宴会場です。石に溝を掘って水が流れるようにし、盃を浮かべて酒を酌み交わしていました。当時の王と貴族らの余裕が見て取れる場所です。

瞻星台は星を見るために高く積み上げられており、宇宙観測台として新羅善徳女王(在位期間:632~647)の時代に建てられたものと推測されています。東洋における天文台の中では最も古いもので、空の動きを研究し、農作業をする時期を決定するのに役立てていました。当時の科学水準が高かったことがわかる貴重な文化財です。

  • 芬皇寺模塼石塔芬皇寺模塼石塔
  • と大陵苑大陵苑(天馬塚)

芬皇寺は、新羅の僧侶であった元暁大師が宿していた寺です。寺の庭に模塼石塔があり、慶州観光には欠かせない観光地となっています。模塼石塔は、現在まで残る新羅石塔の中でも最も古い塔です。石を煉瓦模様にととのえて積み上げられているのが特徴的で、非常に独特な形をしており、新羅の彫刻様式を探るため良い資料となっています。

天馬塚は、新羅代々の王の墓が集まる大陵苑地区の中でも、最も有名な王陵です。天馬図が発見されて以来、天馬塚と呼ばれています。この墓は発掘当時、天馬図を含め1万点以上の遺物が発見され、古代美術研究や他国との交流の事実を知ることのできる文化遺産となっています。

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朝鮮王陵(2009年指定)

朝鮮王陵光陵

朝鮮王陵は、519年続いた朝鮮王朝の王やその王妃の墓所が置かれた遺跡です。王陵は、建設当時の政治や思想、芸術の様相がうかがえる歴史的価値を有する他、韓国独自の伝統的な自然景観や儒教思想に基づき、国家レベルで建設、管理されたため、比較的保存状態が良いのが特徴です。自然との調和や王陵の持つ祭祀文化の独自性が認められ、ユネスコ世界文化遺産に指定されました。

王陵の建設地は漢陽(朝鮮時代の首都)近郊でなければならないという当時の規定から、ほとんどの王陵が漢陽を中心に集まるような形で建設されました。そのため、江原道寧越(ヨンウォル)の荘陵(チャンヌン)を除いた全ての王陵がソウルや京畿道など首都圏一帯(18ヶ所)に点在する形となっています。主な王陵として、ソウルの宣陵・靖陵貞陵懿陵などの他、京畿道の西五陵(高陽)、東九陵(九里)、光陵(南楊州)、隆陵・健陵(華城)、英陵・寧陵(驪州)江原道の荘陵(寧越)などがあります。

主な見どころ

  •  宣陵宣陵
  • 英陵英陵

宣靖陵(ソンジョンヌン)は、宣陵と靖陵を合わせた呼称で、ソウル市江南区三成洞にある王陵です。ここには、成宗(在位期間:1469~1494年)とその継妃、貞顕王后(在位期間:1480~1494年)の王陵がある宣陵と、息子である中宗(在位期間:1506~1544年)の靖陵など3つの王陵があります。

驪州にある英陵(ヨンヌン)は、ハングルの制定を行ったとされる世宗大王(在位期間:1418~1450年)とその妻昭憲王后(在位:1418~1446年)が埋葬されたお墓です。世宗は、32年という在位期間中に訓民正音(ハングル)を創り、これを普及させた他、朝鮮の領土を拡大させるなど、多くの業績を残しました。

  • 高陽西五陵の昌陵高陽西五陵の昌陵
  • 九里東九陵の景陵九里東九陵の景陵

ソウル城郭の西側にある5つの王陵からなる「西五陵(ソオヌン)」には、明陵(ミョンヌン)、敬陵(キョンヌン)、昌陵(チャンヌン)、翼陵(インヌン)、弘陵(ホンヌン)が置かれています。この場所に初めて造られた王陵は、若くして病死した世祖の長男、義敬世子(徳宗)が埋葬された敬陵とされています。

東九陵(トングヌン)は、ソウルの東側にある9つの王陵からなる墓所です。ここには、17人の王と王妃の御陵があり、朝鮮王陵でその規模が最も大きいとされています。特に景陵(キョンヌン)は、朝鮮王陵では唯一の三連陵で、2人の王妃と憲宗(在位期間:1834~1849年)の封墳が3つ並んで置かれているのが特徴です。

  • 陵の紅サル門荘陵の紅サル門
  • 寧越の荘陵寧越の荘陵

寧越にある荘陵(チャンヌン)は、第6代王の端宗(在位期間:1452~1455年)のお墓です。端宗は、叔父によって王位を剥奪され、現在の寧越地方に追放された後、若くして生涯を終えることになった悲運の王として知られています。この王陵は、首都圏に多く集まる他の王陵とは異なり、漢陽からもっとも遠く離れた場所にあります。そのため、朝鮮王陵の中でもその保存状態が良く、美しい自然との調和や朝鮮王陵の格式の高さをうかがい知ることができます。

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韓国の歴史村:河回と良洞(2010年指定)

安東河回村 安東河回村

慶尚北道にある安東河回村慶州良洞村は14~15世紀に造られた歴史的な場所です。河回村と良洞村は氏族村で、長い歳月をかけて同じ姓を持つ人々が集まって暮らしながら独特な文化を受け継いできました。現在も村には人が住んでいて、2つの村で両班(ヤンバン)と平民を厳重に区別した朝鮮時代の儒教文化を見ることができます。特に両班と平民の家屋の配置は朝鮮王朝の影響力を反映しています。河回村と良洞村には宗家をはじめ、両班達が住んでいたキワチプ(瓦屋根の家)、亭子、書院や祠堂、昔の平民達が住んでいたチョガチプ(藁葺き屋根の家)があります。

主な見どころ

  • 安東河回村と河回別神クッタルノリ安東河回村
  • 安東河回村と河回別神河回別神クッタルノリ

安東河回村は「柳」氏の姓を持つ人たちが600余年間、暮らしてきた氏族村です。韓国の伝統的な姿を一番良く保存しているこの場所は、1999年にイギリスのエリザベス女王2世が、2005年にはアメリカの当時の大統領であるブッシュ大統領が訪問したことで、国際的にも広く知られるようになりました。

河回村では過去、両班達が暮らしていた家と学問を学んだ書院、平民達が暮らしていた多様な形態の家を見ることができます。このような伝統的な建物には現在も人が住んでいて、まるで朝鮮時代に来ているかのような錯覚に陥るかもしれません。

伝統的な建物ばかりでなく、重要無形文化財に指定されている河回別神クッタルノリの観覧をすることもできます。

  • 写真:慶州良洞村
  • 写真:慶州良洞村
慶州良洞村

良洞村は典型的な両班村の形態をしています。両班達が住んでいたキワチプは村の高い所にあり、平民達が住んでいたチョガチプはキワチプを囲むように村の下の方にあります。

各建物は使用する目的と用途がはっきりと区分されてるので位置も違います。先祖の位牌を奉っている祠堂の大部分は両班の家の後方にあり、学問を教え、研究をしていた書院や亭子は閑寂で景色の美しいところにあります。

良洞村の入口には観光客達のために村の歴史を紹介し、遺物を展示してある遺物展示館があります。また、良洞村では儒教文化教室などの伝統文化体験も可能です。

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南漢山城(2014年指定)

南漢山城南漢山城

南漢山城道立公園は朝鮮時代(1932~1910)の首都であった漢陽と漢江地域の防衛のために山の上に築かれた城です。正確な築城時期は明らかになっていませんが、残っている文献資料によると、新羅時代(AD57~935)や百済時代(BC18~660)に建てられたという説が有力です。何よりも南漢山城からは統一新羅(676~935)から朝鮮時代にいたるまでの建築技術の発達段階をうかがい知ることができるという点で、歴史的かつ文化的価値を高く認められ、世界遺産に登録されました。

東西南北にそれぞれ4つの門と門楼があり、城の中には守禦庁、倉庫、行宮などがあります。主要文化財としては守御将台、長慶寺、行宮、崇烈殿、清涼堂、枕戒亭があります

主な見どころ

  • 守護将台守護将台(写真提供:文化財庁)
  • 長慶寺長慶寺(写真提供:文化財庁)

守御将台は敵を監視して周辺を見渡すために築かれた2階建ての木造建築物です。南漢山城に建てられた4つの将台の中で現存する唯一の建築物であり、南漢山城のなかで最も高い日長山の頂上にあります。丙子の乱では仁祖が40日間滞在して直接指揮をとりました。

長慶寺は1963年に建立されたお寺で、山城の建築を手伝っていた全国の僧侶たちが宿泊しました。朝鮮時代の僧侶たちが国のために活動していたことを知ることができる貴重な文化財です。僧兵たちのために作られた9つの寺の中で唯一保存されている場所です。

  • 南漢山城行宮地南漢山城行宮地(写真提供:文化財庁)
  • 崇烈殿崇烈殿(写真提供:文化財庁)

南漢山城の行宮は、国の戦争の際、首都の役割の代わりをする避難場所として使用されました。他の行宮とは違なり、国家の仕事の処理のための施設が備わっており、宗廟や社稷の空間が設けられています。朝鮮時代の行宮制度を垣間見ることのできる遺跡として大きな価値があります。

崇烈殿は百済を建国した温祚王(在位期間B.C.18~A.D.28)と山城築城当時の責任者だった将軍を祀った祠堂で、現在でも南漢山城に関する大きな行事があるたびに、ここで祭祀を執り行っています。

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百済歴史遺跡地区(2015年指定)

定林寺址 定林寺址の五層石塔

百済歴史遺跡地区とは忠清南道公州市から扶余郡、全羅北道益山市にかけて分布している遺跡群を指しており、韓国の古代国家のひとつである百済の痕跡を窺い知ることができます。華やかな文化を花咲かせた百済の王宮や寺院の跡が見られるので、一度は訪れてみたい魅力的な観光スポットです。隣国との交流を通して発展した百済の文化的価値がよく分かる遺跡で、特に中国・日本などの東アジアとの文化交流の証拠となる点が高く評価され、韓国では12番目に世界遺産に選定されました(文化遺産11、自然遺産1)。

百済歴史遺跡地区は公州公山城(コンジュ・コンサンソン)宋山里(ソンサンニ)古墳群と武寧王陵(ムリョンワンヌン) 官北里(クァンブンニ)遺跡と扶蘇山城(プソサンソン)定林寺址(チョンリムサジ)・定林寺址五層石塔陵山里(ヌンサルリ)古墳群扶余羅城(プヨ・ナソン)益山王宮里(イクサン・ワングンニ)遺跡弥勒寺址(ミルクサジ)の計8件の遺跡で構成されている連続遺産です。

主な見どころ

  • 公山城公山城
  • 武寧王陵武寧王陵

公山城(コンサンソン)は百済時代には熊津城(ウンジンソン)と呼ばれていましたが、高麗時代以降に公山城と呼ばれるようになりました。標高110mの公山(コンサン)の頂上から西側の峰までを囲む山城で、城の周囲は2,450mになります。公山城は歴史的な価値が高いこともさることながら、夜景が美しいことでも知られており、多くの観光客が訪れています。

武寧王陵(ムリョンワンヌン)は百済の第25代王である武寧王の墓です。古代の墓の中では珍しく墓に眠る人物が明らかになっているもので、盗掘などの被害がなく、完全な状態で発見されました。4,600点の遺物が出土し、歴史的価値はもちろんのこと、美術史研究にも貴重な資料となっています。

  • 扶蘇山城にある落花岩扶蘇山城にある落花岩
  • 弥勒寺址の幢竿支柱益山弥勒寺址の幢竿支柱

扶蘇山城(プソサンソン)は百済が遷都して滅亡するまでの123年間、百済の都だったところで、当時は泗沘城(サビソン)と呼ばれていました。ここは百済の歴史の最後となったところで、3,000人の宮女が身を投げたという伝説が伝わる落花岩(ナックァアム)は景色の大変素晴らしい場所です。

弥勒寺址(ミルクサジ)は百済時代最大の寺院である弥勒寺(ミルクサ)があったところで、ここの見どころは石塔と幢竿支柱(タンガンジジュ)です。石塔は韓国最古・最大のものであり、東塔は1993年に復元され、西塔は現在復元中です。幢竿支柱は保存状態がよく、文化遺産として価値が高い遺跡です。

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