第1回 |
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| 早暁三時、鐘楼の大鐘、そして楼台に吊されたふた抱え以上もあろうかと思われる法鼓(大太鼓)が深山に鳴り響く。それを合図に、様々な役割によって、広大な境内地に点在するそれぞれの宿舎から、スニン(坊さま)が、続いて修行僧が大雄殿(本堂)へ朝のお勤め(読経)に集まって来る。その数は優に百人以上。まさしく海潮音と呼ぶに相応しい、朗々たる読経の声が、大雄殿の建物をあふ溢れて、明けやらぬ山全体へと静かにし 染み渡って行く。それは、何百年にも渡って、三百六十五日、休むことなく毎日繰り返されて来た、韓国仏教(曹渓宗=禅)寺院、朝一番の日課行事である。 今や日本では、極めて一部の寺を除いて、このような景色に触れる機会は殆どない。ましてや百人を越える、しかも皆比較的若い坊さんが、ということになると、福井県の永平寺か、横浜・鶴見の総持寺といった寺以外では、とても眼にすることのできない光景であろう。 (人数は兎も角、一日の始まりにきちんとお経を誦むことさえも、今日日本の坊さんは、何処かに置き忘れてしまったようである。) ![]() 韓国の名刹は、参道を歩き、寺域に近付いて、境内地に足を踏み入れた瞬間、何処も所謂『風水』に従ってその場所が充分に吟味され、諸堂が建てられていることが、素人目にもよくよく理解出来る。大きな山を背景とし、或いは深い山懐に抱かれて、渓流の流れる見事な条件の場所を選んで、大雄殿をはじめとする様々な建物が、上手に傾斜や清流を利用して建てられている。 日本の寺々との大きな相違は、庭園がないことであろうか。鎌倉、室町期以前の古い時代に建立された我が国の寺院にも、風水の影響を確かに見て取れるものが幾つも現存している。しかし、寧ろ日本人は、枯山水を代表とする『日本庭園』の中に、風水による考え方を凝縮して取り入れたように思える。 ガイドブックやビデオ等で、部分的に切り取られた韓国寺院の写真や映像を見る限り、その趣には、時に庭そのものが文化財にもなるような日本の寺々に比較して、どこか「殺風景」な印象を受けることがある。それは、背景を含めた寺のある場所そのものが、寺全体の存在と環境が=風水思想の反映であるが故に、改めて日本人が思い、描くような『庭』を造る必要性がなかったのであろう。 風水とは、元来自然と人間とが、いかに調和して生きるか、更にはいかに一体となって生きるかを願い、説いた教えである。人と建物、建物とその建つ場所、場所と自然。寺に限らず、当初平安の都(京都)も、それに習った江戸の町(東京)も、風水に依った街作りがなされ、そこに住む人々の安寧と、都の繁栄が祈念されて、今日にまで至っていることは、よく知られた所である。「最も近くて、遠い外国」ともいわれる韓国。買い物とカジノ以外に、この国をイメージし難い現代の日本人。しかし、韓の寺々を訪れ、そこに立ってみれば(出来れば一晩の滞在をお薦めするが)、韓国と日本、韓民族と日本人の間に流れる、時間と空間を遙かに越えた、深く、広く、大きな共通した何ものかを、風と水の流れの中に、素直に肌で感じ取ることができる。 |
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天台宗・横倉寺の末寺として延暦年間(782年~805年)に建立され、応安元年(1368年)この地を領していた土岐頼雄の請願により、龍湫周澤禅師を開山として迎え禅寺となった。 江戸中期(宝暦-1751年~天明-1788年)、第八世大津周覚禅師は有栖川宮の信望篤く、諸堂再建に尽力、概ね今日の輪奐(りんかん)を整えるに到った。
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