goto content


Food_Themed_Streets_Guide_Book

Food_Themed_Streets_Guide_Book

h1 Title

print

韓国の世界遺産ガイド

  • 文化遺産 Vol.1 海印寺蔵経板殿
  • 文化遺産 Vol.2 宗廟
  • 文化遺産 Vol.3 石窟庵・仏国寺
  • 文化遺産 Vol.4 昌徳宮
  • 文化遺産 Vol.5 水原華城
  • 文化遺産 Vol.6 高敞・和順・江華支石墓遺跡
  • 文化遺産 Vol.7 慶州歴史地区
  • 文化遺産 Vol.8 朝鮮王陵
  • 文化遺産 Vol.9 韓国の歴史村:河回と良洞
  • 文化遺産 Vol.10 済州火山島と溶岩洞窟
  • 文化遺産 Vol.11 百済歴史遺跡地区
  • Vol.1 済州火山島と溶岩洞窟

昌徳宮 창덕궁

登録年:1997年(文化遺産)

自然との調和が美しい最も韓国的な古宮 宗廟(チョンミョ/종묘)

■昌徳宮(チャンドックン/창덕궁)

1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられ、1610年に再建後300年間正宮として使われました。そのため5大王宮の中では最も保存状態が良く、当時の雰囲気を今もそのまま漂わせています。モザイク模様や天井の装飾が美しい仁政殿、華やかな宮廷生活がしのばれる大造殿、さらに奥には朝鮮王朝時代の造園芸術の粋と言われる後苑が続きます。うっそうと大木が茂り、谷や池、川などが自然そのままに配置された庭園の中にある宙合楼からは、素晴らしい景色が望めます。

最も韓国的な古宮

朝鮮王朝の法宮(王の住む宮殿)は景福宮です。一王朝の権威を象徴する空間にふさわしく、景福宮は端整かつ威圧的です。ソウルの大路、世宗路に向かってまっすぐ建っています。
一方、昌徳宮は昌慶宮・徳寿宮・慶熙宮とともに離宮です。法宮を修理したり、火災に遭った際に王が滞在した、第二の宮殿です。よって、景福宮と比較した際、その規模や威厳という面では劣っています。

しかし、興味深いことは、朝鮮の王は景福宮に滞在した時間より、昌徳宮に滞在した時間がはるかに長かったという事実です。壬辰倭乱(文禄・慶長の乱)が起こり、景福宮が火に焼けてしまったということもありますが、壬辰倭乱で焼失した宮殿は景福宮だけではありませんでした。しかし、壬辰倭乱の直後に復元されたのは、景福宮ではなく、昌徳宮だったといいます。その後、200年余りの間、昌徳宮は朝鮮王朝の第一の宮殿の役割を果たしました。壬辰倭乱以前にも王たちは景福宮より昌徳宮により長く留まりました。朝鮮の王は景福宮より昌徳宮を好んだのです。
まさにここに、昌徳宮がユネスコ世界遺産となった理由が隠されています。昌徳宮は最も韓国的な宮殿といえます。華やかさや規模は大きくありませんが、素朴で趣のある空間といえます。ユネスコも同じように考えたのです。ユネスコは昌徳宮を世界文化遺産に指定する際、「昌徳宮が東アジアの優れた宮殿建築と庭園デザインの原型であり、自然環境と調和を成していること」を選定理由としています。
これから、昌徳宮が持つ韓国的な美の世界にご招待しましょう。

昌徳宮のある位置 

昌徳宮は北岳山の麓の端に斜めに寄り掛かっています。大体、宮殿といったら大路にまっすぐ向かって建っていなければならないものですが、その点では昌徳宮は宮殿らしくないといえるでしょう。まさに、この宮殿らしくないところに昌徳宮の美学があります。

昌徳宮は景福宮の1/3の規模です。景福宮に比べると美しく女性らしいのが特徴です。正門である敦化門に足を踏み入れると、それがすぐにわかります。正門から入ると大殿がすぐ正面になければなりません。しかし、昌徳宮の大殿である仁政殿は、正門から右に曲がり、さらに左に行かなければその姿が現れません。ほとんど秩序がないようにみえます。じっくりと地勢を見てみると、山の麓の傾斜や流れに逆らわず、自然のままの姿が確認できます。風水地理によると、仁政殿は白頭大幹から伸びた梅の幹の枝の先に付いている蕾のような形をしているといいます。

昌徳宮は常にこのように建てられました。傾斜が急であれば傾斜に沿って建てられ、丘があれば丘を避けて道がつくられました。後苑にある亭子も、周辺環境の見渡せる場所を避け、木と渓谷の間にぴったりと入っています。フランスのエリーゼ宮の大統領室をデザインした世界的なデザイナー長、ミシェル・ヴィルモットも、「ソウルで最も惹かれる場所は昌徳宮」といい、「韓国的な美が最もよく表現されている場所」と絶賛を惜しみませんでした。

王室の庭園の美学 

昌徳宮はある時期、祕苑と呼ばれていました。20世紀初めの日帝強占期、日本は朝鮮王朝の宮殿を一介の庭園ぐらいに意味を縮小するために、昌徳宮にある庭園のみを取り上げて名前を付けました。これは、反対に、昌徳宮の庭園がそれ程優れていたことを示してもいます。

昌徳宮の最も奥の方に森や渓谷、木、亭子がよく調和をなす庭園があります。宮殿の後ろにあることから、後苑といいましたが、王の散策空間として主に使われ、内苑または禁苑とも呼ばれました。

この後苑がまさに昌徳宮の価値を証明する空間といえます。

宮殿の後ろにある細道に沿って丘のてっぺんに上ると下にある大きな蓮池が一目で見渡せます。これが芙蓉池です。二つの丘がでくわすやや低い部分に蓮池があり、蓮池の中央に円い島があり、島の上に松の木が一本植えられています。その蓮池の左側に華やかな姿を誇って建っている亭子が芙蓉亭で、芙蓉池の向こうから芙蓉亭と向かい合って建っている楼閣が宙合楼です。

まさにこの光景が昌徳宮・後苑の最も重要な部分です。単なる美しい庭園のように見えますが、この空間配置には深い哲学的な意味が含まれています。その意味は次のとおりです。宙合楼の正門は魚水門です。魚と水の門という意味です。芙蓉池の端の長台石に水から跳ね上がる魚の姿が浮き彫りにされています。芙蓉池から魚が跳ね上がり、魚水門を通過すると宙合楼に達します。宙合楼の1階は正祖のときの国策研究機関である奎章閣です。この配置は立身出世を意味する登龍門の哲学を再現しています。

昌徳宮の美学がここにあります。亭子一つにも意味があり、蓮池一つにも意味が込められています。造形美のみを追求したのではないということです。昌徳宮の節制された美しさは哲学から始まります。

ソウルの自然生態系の宝庫 

芙蓉亭を過ぎると昔からの森が広がります。ここからが制限開放区域です。2004年以前にも25年間一般人の立ち入りが一切禁止されていました。

最初に見える建物が尊徳亭という亭子です。六角形で二十屋根の洗練された姿をしています。内部の丹青も大変華やかです。如意宝珠を間に置き、黄龍と青龍が戯れる絵が描かれており、絵の下には文字がぎっしりと刻まれている木版が掛けられています。そこに書かれている文句は次の通りです。

「世の中の全ての小川の水は月を抱いているが月はたった一つだ。その月はまさに自分自身であり、小川の水は君たちである。」

この気勢のよい文句の主人は正祖(1752-1800年)です。勢道政治の中で蕩平策を繰り広げ、強力な王権を振り回した王です。正祖はこの景色のよい尊徳亭に反対勢力を呼んでは諭し、支持勢力を呼んでは意気投合しました。宮殿の後苑は古今東西を問わず隠密な政治がなされた空間でした。

尊徳亭を過ぎると、森というよりは山に近くなります。なかなか急な丘を越えると玉流川という渓谷が現れます。渓谷周囲にはこぢんまりした亭子があります。昔はここにも虎が出没したといいます。今も昌徳宮はソウルの自然生態系の宝庫といえます。160余種・29万株の樹木と 赤啄木鳥やコノハズク、おしどりなど天然記念物を始め、鳥類40余種がこの後苑の中で生息しています。

1979年に後苑の一部地域を閉鎖した後、2004年に開放するまで、人々の出入りがなかったおかげといえるでしょう。

水原華城を見る ☞