goto content

スキン設定 orange skin purple skin blue skin

テコンドー

h1 Title

print


黄龍寺遺跡(황룡사 옛터)

黄龍寺遺跡はその名の通り、昔寺があった場所のことです。見た目はがらんとして、ただ広い大地が広がっているその上に昔、寺があったことを伝える礎石が所々に置いてあります。何もない廃墟、もの寂しい風景、光を失った千年の都市・慶州を象徴する情景です。
しかし、黄龍寺遺跡は全国に散らばっている数多くの古寺とは次元が違い、その規模は2万5000坪余りにもなります。黄龍寺の規模の巨大さを推測できる遺跡が残っています。実に182センチにもなる「チミ(寺の屋根の棟の端に置く飾り)」がそれです。他のどの寺で発見されたチミよりも10倍程も大きいものです。



黄龍寺の境内にあったと伝えられている鐘や塔、仏像も想像を超える規模を誇っています。代表的なのは善徳女王の時代に建てたという9層の木造の塔です。約20階建ての高さで80メートルを越えると考えられます。その址が今も残っています。9層の塔があった場所に縦横に8個ずつ、64個の礎石があり、塔の重心の役割りをしていた巨大な石が礎石の中心に置いてあります。木造の塔の底面積だけで150坪を越えます。
新羅の真興王は553年、現在の黄龍寺の場所に宮廷を移そうとしましたが、ここに黄龍が出没するという事件がおこり、これを不思議に思った王はここに寺を建てます。それが黄龍寺です。それから17年間、その位置に宮廷を移し、囲いの塀を造り5メートルの高さの金銅三尊丈六像を完成させます。次いで金堂を増築し、善徳女王の時代である643年、9層木塔が完成します。黄龍寺は実に3代の王にわたって建造され、完工しました。




しかし、創建655年目の1232年、高麗の高宗の時、モンゴルが侵入してきて黄龍寺に火をつけ焼失します。その際に失った貴重な遺物は他にもあります。韓国初の仏教典籍の総集である『初雕大蔵経』です。高麗王朝は戦乱が終わった後、もう一度大蔵経を作り、その大蔵経が現在の海印寺(ヘインサ)にあるユネスコ世界記録遺産にもなっている『高麗大蔵経』です。
1976年から続いている発掘調査によって、黄龍寺遺跡だけで4万点余りが出土しています。あとどれだけの遺物が土の中に埋まっているのかは誰にも分かりません。
黄龍寺と囲いの塀を共にしている芬皇寺の跡地に芬皇寺石塔があります。もともとは7層から9層であったと推測されるこの3層の石塔は、現在韓国に残っている石塔のなかで最も古い歴史を誇っています。

More Information

千年王国の古都、慶州歴史地区
南山(남산)
黄龍寺遺跡(황룡사 옛터)