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仏国寺

地上に現れた仏の国

仏国寺石窟庵は新羅の都だった慶州を代表する仏教遺跡です。仏国寺の「仏国」は文字通り地上にある仏の国を意味し、石段、石塔、建物一つ一つがすべて仏の国を象徴するものです。韓国の古代国家・新羅は仏教国家でした。およそ1200年前、仏教の哲学と思想を崇敬した新羅の人々の厚い信仰心が仏国寺を完成させたのです。こうした由来から、仏国寺を訪れることは、仏の国を詣でるに等しいことだと言えるのです。

仏国寺(プルグクサ、불국사)の説明には石窟庵(ソックラム、석굴암)が欠かせません。仏国寺と石窟庵は、吐含山(トハムサン、토함산)の中腹に隣り合って建っており、建てられた時期も同じ8世紀中盤であるためです。そして何より金大城(キム・デソン)という一人の人物によって建てられたという点が興味深いところです。金大城は大変な孝行息子で、現生の両親のために仏国寺を、前世の両親のために石窟庵を建てたと言われています。

仏国寺の建立には約30年かかりましたが、金大城は完工を見ることなく建てはじめてから24年目にこの世を去ってしまいました。その後国が代わりに工事を進め、774年に完工しました。

現在の仏国寺は、残念ながら創建当時の姿ではありません。朝鮮時代に壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役、1592~1598)があり、多くの建物が燃え廃虚ともいえる姿に変わってしまったのです。そして1970年に大々的な復元工事が行われ、現在の姿となりました。しかし悲しい事に仏国寺の復元は正しく行われませんでした。当時韓国では新羅時代の寺院建築に対する研究が十分に行われておらず、高麗または朝鮮初期の寺院様式に沿って復元した結果、異なる時代の建築文化が混在してしまったのです。しかしこのような背景を持つ現在の姿でもその価値が認められ、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

おすすめコース

* 仏国寺入口 → 天王門 → 青雲橋・白雲橋 → 釈迦塔 → 多宝塔 → 大雄殿 → 無説殿 → 洛伽橋 → 観音殿 → 毘盧殿 → 舍利塔 → 極楽殿 → 蓮華橋・七宝橋(所要時間約時間 30分-2時間)

韓国の寺は広いだけに見所もたくさんあります。もちろん仏国寺も広いので、計画なしに歩き回っては疲れるだけでポイントを見逃してしまいがちです。仏国寺は大きく三つのエリアに分けられますが、上のおすすめコースに沿って回れば各エリアを効率的に見てまわることができます。写真を撮るなら蓮華橋と七宝橋側から青雲橋・白雲橋方向がお勧め。ここは写真家が好むアングルで、仏国寺を側面から撮ることができます。

大雄殿エリア

仏国寺をきちんと見てまわるには、 奥深い仏教思想を理解しなければなりません。建物の配置により込められた意味も異なるためです。寺は大きく分けて、釈迦牟尼仏を祀る大雄殿(デウンジョン、대웅전)、阿弥陀仏がある極楽殿(クンナンジョン、극락전)、毘盧遮那仏がある毘盧殿(ピロジョン、비로전)の 三つのエリアに分かれており、それぞ れが仏の国を象徴しています。

最も重要なエリアは釈迦牟尼仏を祀る大雄殿のエリアで、仏国寺に着いたらまず初めに目にする場所です。大雄殿へ行く道には二段に高く積みあげた石橋が見えます。下のものは青雲橋(チョンウンギョ、청운교)、上のものは白雲橋(ペグンギョ、백운교)といいます。

この二つの橋は上下合わせて33の階段になっていますが、これは仏教で考えられる33の空を象徴しています。最後の33番めの空は釈迦牟尼仏の存在するところで「忉利天(とうりてん)」と言います。青雲橋と白雲橋の上は釈迦牟尼仏が祀られた大雄殿で、このエリアが釈迦牟尼の国であることを象徴します。

青雲橋と白雲橋は階段なのに、なぜ橋という名前が付いているのでしょうか?経典によると、仏の世界へ行くためには川を渡って雲の上に上らなけ ればならないと言われています。青雲橋と白雲橋はその川を渡る橋であり、 雲の上を歩く橋という意味があるため 「橋」とされているのです。階段の中央には分離帯があり、上がる道と下り る道を区分し、階段の下にはアーチ型 のトンネルを設置し水が流れる橋であ ることが象徴的に表現されています。

ちょっと一息 アサダルとアサニョの悲話

釈迦塔には「無影塔(ムヨンタブ、무영탑)」 という別名がありますが、この「影がない塔」という名前には悲しい恋物語が伝わっています。新羅景徳王の時代、仏国寺に釈迦塔を建てるため隣接した百済からアサダル(阿斯達)という腕のいい石工を呼び寄せました。アサダルは石塔を建てるため愛する 妻・アサニョ(阿斯女)を置いて1人新羅に向かい、すべての雑念とアサニョに対する思いを捨て塔の建立に専念しました。それから1 年、2年と時が経ち、故郷で主人の帰りを待つアサニョはアサダル会いたさに遠くから歩いて仏国寺にやってきました。しかし塔が完 成するまで女性は境内に入れないという禁忌のためアサダルに会うことはできませんでした。アサニョは遠くからでも一目アサダルの姿を見たいがために毎日仏国寺の入口で待っていました。これを不憫に思った僧侶がアサニ ョに仏国寺近くの小さな池で心を込めて祈れば、塔の完成とともに塔の影が池に映るだろうと話しました。アサニョはその池で塔の影が現われるよう祈り続けましたが現われず、結局アサニョはアサダルの名を呼びながら池に跳びこみ死んでしまいました。一歩遅れて塔を完成させたアサダルはアサニョが来たという知らせを耳にし池に駆け付けましたが、アサニョの姿はなく、池には大きな岩が一つありました。アサダルは悲しみに暮れ、岩にアサニョの顔を彫り入れました。ところが不思議なことにアサニョの顔が次第に仏の顔になりました。そうして彫り終えた日、アサダルもアサニョに続いて池に身を投げてしまいました。それ以降塔の影が映らなくなったということから釈迦塔を無影塔と呼ぶようになったのです。

この橋を渡って紫霞門(ジャハムン、 자하문)に入ると釈迦牟尼の国になります。青雲橋と白雲橋は人間の世界と仏の国を繋ぐ道というわけです。

それでは釈迦牟尼の国に入ってみましょう。大雄殿の前庭に建つ二つの石塔は釈迦塔(ソッカタプ、석가탑)と多宝塔(タボタプ、다보탑)です。これら二つの塔は韓国を代表する石塔ですが、それぞれがまったく異なる様式を持っています。無駄なく簡素で上昇するような勢いがある釈迦塔に比べ、多宝塔は複雑で装飾が多く華やかです。そのため釈迦塔はがっしりした男性美、多宝塔は優雅な女性美を持っていると言われます。

韓国の他のお寺では、広場に二つの塔を建てる場合は必ず同じ形のものが建てられます。しかし仏国寺ではなぜ様式の異なる二つの塔を同じ空間に並んで建てたのでしょうか?その理由は韓国の仏教思想の確立に大きく影響を及ぼした仏教経典である「法華経」の思想が表現されているためです。法華経には次のような文言が書かれています。「世の中には多くの仏が存在するが、中でも釈迦牟尼仏が霊鷲山(りょうじゅせ ん、インドの古代国家・摩伽陀国にあ る山の名前)で経典を唱えている時これを見て感心した多宝仏が多宝塔に乗って大地に現れ、自分が座っていた場所の半分を釈迦牟尼仏に譲り、並んで座って説法するようにした」。これにより、釈迦牟尼仏を象徴する釈迦塔と多宝仏を象徴する多宝塔を並べて建てたと伝えられています。

釈迦塔は何の装飾もなく洗練され安定して見えます。全体の大きさに比べて基壇が大きく安定感があり、上部に行くほど完璧な割合で細くなる様子は素朴ながらも美しく見えます。加えることも引くこともない完全な比例美を持ち、これ以後に建てられた韓国の石塔はこの釈迦塔に基づいて造られているそうです。

多宝塔は釈迦塔とは違って非常に複 雑で華やかな造りをしています。四角形の基壇の東西南北には階段が設置され、階段の上の塔身には四方に出入口があります。下の塔身の西側には獅子像があります。本来東西南北に四頭の獅子像がありましたが、日帝強占期に無くなってしまいました。美しく削った石を使い、木造建築のように組み合わせるといった独特の構造と独創的な表現は、世界でも類を見ないと言われています。

釈迦塔と多宝塔の後ろには大雄殿があり、建物の中には釈迦牟尼仏が安置されています。大雄殿の主が釈迦牟尼仏であり、大雄殿のあるエリアが釈迦牟尼仏の国であることを表しているのです。大雄殿の後ろには「無説殿(ムソルジョン、무설전)」という講堂があります。ここは僧侶が勉強したり経論を 講義する場所なのですが、言葉が多く行き来するべき場所の名前がどうして「無説殿」なのでしょう?それは世の中の真理は言葉だけでは表現できないという意味があるためです。仏教で真理は話を通して表れることも、伝えられることもないと言います。無説殿という名前には、真理を語ろうとはせず、心を治めて真理に到達しろとの仏の教えが込められているのです。

昆盧殿のエリア

無説殿を過ぎると急な階段が現れます。この階段を上がると観世音菩薩が祀られた観音殿があり、再び左に降りると毘盧遮那仏が安置された昆盧殿が現れます。この二つのエリアを合わせて「蓮華蔵世界」と表現しますが、蓮華蔵世界とは壮厳で真理の光に満ちた世界であり、蓮の花に象徴されるため 蓮華蔵と言われます。

蓮華蔵世界の主は毘盧遮那仏であり、毘盧遮那仏がある昆盧殿が空間の中心になります。毘盧遮那仏は仏教の真理を説法する仏であり、毘盧遮那とは“光を放ち闇を照らす”という意味で、仏の光明が世の中をあまねく照らし、すべての世界を包みこむという意味を内包しています。昆盧殿のエリア は大雄殿のエリアに比べ面積は小さいですが仏国寺の最も高い位置にあります。それは仏国寺が仏教の華厳思想に 基づいて建てられているからです。新羅時代には仏国寺を「大華厳仏国寺」と呼びました。仏教経典の一つ「華厳経」で衆生が真理を悟って到達できる最も高い境地が蓮華蔵世界なのです。昆盧殿に行ったら昆蘆遮那仏に注目してください。この仏像は統一新羅時代を代表する三大金銅仏像の一つです。まっすぐな姿勢にどっしりとした肩、量感ある胸と長い腰、そして躍動感あふれる服のしわなど、これ以上ないほどの美しさを感じさせます。一つ珍しい点は、手の形が一般的な毘盧遮那仏と反対になっている点です。仏や菩薩はそれぞれが自ら悟りをひらき、自ら持っている真理を表わすため十本の指で様々な形を作っています。これは「手印」といいますが、毘盧遮那仏の手印は握りこぶしを胸の前で上下に重ねておき、拳を上下に重ねておき左 手の人差し指を立て右手の拳の中に入れた形が一般的です。右手は仏が生きる世界、左手は生命を持つすべての生物がいる世の中を表します。

極楽殿エリア

毘盧殿を下れば無説殿の長い回廊に出ます。回廊は仏に対する尊敬の意味で設えてあり、仏像が安置された大雄殿を正門から出入りするのは礼を欠くことであるため回廊に沿って側面を回っていくようにしたのです。回廊の門は極楽殿に行く通路でもあります。

極楽殿は仏国寺の西にありますが、その理由は極楽殿にある阿弥陀仏と関係があります。極楽殿に安置された仏像は阿彌陀如来ですが、毘盧殿の毘盧遮那仏と手の形や服のしわが少し異なるだけで、頭や体、座った姿は双子のように似ています。阿弥陀仏は慈悲の仏で存在する場所は極楽世界です。ここはすべての人が俗世の苦痛から脱して生まれ変わることのできる幸せの地であり、極楽は釈迦牟尼仏のいる所から西にあるため極楽殿が大雄殿の西側にあるのです。

それではどのようにして極楽世界に行くことができるのでしょうか?極楽殿に入って右側の壁を見ると竜の模様の船が描かれています。この船は「般若竜船(パニャヨンソン、반야용선)」と言われ、俗世から極楽世界に渡る時に乗って行く想像上の船です。極楽殿の上部をよく見ると竜の頭があり、建物の後ろには竜の尾があることを考えると、当時の人々は仏の安置された法堂を船に見立てていたことが分かります。

極楽殿の入口は大雄殿と同様、二段に高く積み上げた蓮華橋(ヨナギョ、연화교)と七宝橋(チルボギョ、칠보교)を渡って上がるよう造られています。これらは地上と極楽を橋渡しする象徴物であるわけです。下にあるのが蓮華橋、上が七宝橋で、蓮華橋には美しく咲きほこる蓮華が彫刻されており、極楽に向かう道にかぐわしい香りを漂わせているかのようです。

これは必見 ! 仏国寺に隠された竜と豚

仏国寺の大雄殿と極楽殿には竜と豚がいま す。どこにいるか分かりますか?竜は大雄殿の軒下に二匹いて、一匹は如意珠をくわえ、もう一匹は魚をくわえています。竜は如意珠をくわえているのが普通ですが、どうしてもう一方は魚をくわえているのでしょう?それは魚は眠るときにも目を開けているため「目を見開いて衆生の救済に力を尽くしなさい」という仏の言葉が込められているのです。豚は少し見つけにくいのですが、「極楽殿」と漢字で書いてある扁額の裏をよく見ると豚が一匹 隠れているのが見えます。韓国で豚は財や福、多産を象徴すると同時に悪鬼を追い払うといわれる動物です。極楽世界を象徴する極楽殿で、豚は知恵で悪鬼を正しく治めなければならないという意味を持つといわれています。極楽殿の庭には黄金の豚の像が建てられていますが、この豚を触ると福が来ると言われているので、皆さんも是非一度触ってみてください。


最終更新日:2012年12月31日