世界遺産。
韓国の世界遺産は、韓半島の自然地形と人類の歴史が始まった時から現在まで、非常に長い時間をかけて形成されたという特徴があります。チェジュの自然遺産とともに、韓半島のあちこちにある各時代に生まれた様々な遺産の文化のパノラマを見る楽しみが広がります
昌徳宮。
昌徳宮
周辺の環境と調和を図り﹑自然美を保持した宮殿
昌徳宮(チャンドックン)は、1405年に正宮の景福宮の離宮として建築された朝鮮と大韓帝国の宮殿です。一般的な宮殿建築の様式を脱し、独創的な造形美と周辺環境との調和により「自然と人間が作り上げた完璧な建築物」と評価され、1997年に世界遺産に登録されました。
昌徳宮の設計者は、周辺の自然の地形と調和を図るため、複数の中心軸を活用して建物を配置しました。これは、南北の直線軸を対称にして建物を建てた以前の典型的な宮殿建築とは異なる方式です。正門の敦化門から、正殿(仁政殿:王の即位式や王室の行事を執り行い、外国使臣との接見が行われた場所)まで、二度も方向を変えてつなげるなど、自然との調和を図って建築されました。
昌徳宮という名前には、朝鮮の儒教的理想とされる「徳を輝かせる」という意味があり、各建物の名称と配置には、基本的に儒教思想の象徴と意味が込められています。風水地理思想も反映され、平地の南側には主に建物を、北側の丘陵には自然地形との調和を図るために後苑を配置しました。
後苑は、元々の森にあった水、丘、岩を可能な限りそのまま造景の要素として活用しました。後苑の各所に作られた池や東屋、建物は元々そこにあったかのように周辺の環境と自然に調和し、「東洋王室庭園の真髄」を表していると評価されています。
昌徳宮は、1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に焼失し、数回の再建を経て250年以上、朝鮮の正宮としての役割を果たしました。再建や増築は行われましたが、本来の設計と原型がよく保存されていて、数世紀にわたって韓国の建築や庭園、造景設計、関連美術分野に大きな影響を及ぼしました。
Cultural Heritage Administration, Korea Cultural Heritage Foundation, k-heritage.tv URL http://www.k-heritage.tv/main/en
Expedia
INFORMATION
住所: ソウル特別市鐘路区ユルゴクロ99
電話番号: 02-3668-2300
営業時間: 09:00~18:00 / 月曜休館
利用料金: 殿閣3,000ウォン / 後苑5,000ウォン
ツアー: 日本語ガイド 11:00
Webサイト: www.cdg.go.kr
交通手段: 地下鉄3号線アングク駅3番出口、1・3・5号線チョンノサムガ駅から徒歩10分
ペクチェ歴史遺跡地区。
百済は韓半島の中西部に位置し、北の高句麗、南東の新羅とともに三国時代(B.C.57~A.D.668)を築きました。475年に高句麗が攻撃してくると、百済は漢江流域(現在のソウル)を中心としていた漢城時代に幕を閉じ、首都を熊津(公州)に移して熊津時代(475~538)が始まりました。その後、泗沘(扶余)に遷都して百済全盛期の泗沘時代(538~660)が始まり、泗沘時代後半には遷都を計画して金馬(益山)に大規模な仏教寺院と宮殿を建築しました。
百済歴史遺跡地区地図
Cultural Heritage Administration, Korea Cultural Heritage Foundation, k-heritage.tv URL http://www.k-heritage.tv/main/en
ペクチェ歴史遺跡地区 (コンジュ)。
ペクチェ歴史遺跡地区のコンジュコンサンソン、ムリョンワンヌンとワンヌンウォンは、ウンジン時代を物語っています。約2.6kmの城壁が造成されたコンサンソンは、サンソン内に王宮を置く王宮城として建てられました。ムリョンワンヌンとワンヌンウォンには、第25代ムリョンワン(在位:501~523)の王陵と、ペクチェの王や王族の墓1号~6号墳があります。ムリョンワンヌンは、1971年に被葬者が特定できる墓誌石と約5,232点の遺物とともに完全な姿で発見されました。ムリョンワンヌンとワンヌンウォンで出土した遺物の模型は、ムリョンワンヌン展示館で見学できます。
百済歴史遺跡地区 (公州)
百済歴史遺跡地区の公州公山城、武寧王陵と王陵園は、熊津時代を物語っています。約2.6kmの城壁が造成された公山城は、山城内に王宮を置く王宮城として建てられました。武寧王陵と王陵園には、第25代武寧王(在位:501~523)の王陵と、百済の王や王族の墓1号~6号墳があります。武寧王陵は、1971年に被葬者が特定できる墓誌石と約5,232点の遺物とともに完全な姿で発見されました。武寧王陵と王陵園で出土した遺物の模型は、武寧王陵展示館で見学できます。
公州
公山城
住所: 忠清南道公州市錦城洞53-51
電話番号: 041-856-7700
営業時間: 09:00~18:00 / ソルラル、秋夕休み
利用料金: 1,200ウォン
INFORMATION
ペクチェ歴史遺跡地区 (プヨ)。
サビ時代の遺跡は、プヨクァンブンニ遺跡やプソサンソン、チョンニムサジ、ワンヌンウォン、ナソンで見られます。クァンブンニ遺跡は、王宮の構成を示す大きな建物で、地下貯蔵施設、池などの跡が残っています。王宮の後ろに築かれたプソサンソンは王宮のフウォンで、緊急時には防御用の城として使用されました。チョンニムサジは、珍しくとじょうの中央に位置した寺院で、ペクチェにおける木塔から石塔への転換時期を示す五層石塔が残っています。ナソンは、王宮を防御する外郭城壁であると同時に、とじょうの境界を示すために築いた6.3kmの城壁です。山地では、土を固めて築いた後に外側を石で仕上げ、湿地では木の枝や泥、木杭を打って地盤を補強するなど様々な築造技術を適用し、この技術は日本にも伝えられました。ナソンの外にあるワンヌンウォン(1号~7号墳)は、以前の時代より発展した石材加工技術が見られます。近くには、古墳群に祀られた王族の冥福を祈ったと推定される寺院の跡があります。ここから出土したペクチェ金銅大香炉(国宝)は、道教と仏教が融合した世界観とペクチェの職人の芸術魂と技術が際立つ傑作で、国立プヨ博物館に展示されています。
百済歴史遺跡地区 (扶余)
泗沘時代の遺跡は、扶余官北里遺跡や扶蘇山城、定林寺址、王陵園、羅城で見られます。官北里遺跡は、王宮の構成を示す大きな建物で、地下貯蔵施設、池などの跡が残っています。王宮の後ろに築かれた扶蘇山城は王宮の後苑で、緊急時には防御用の城として使用されました。定林寺址は、珍しく都城の中央に位置した寺院で、百済における木塔から石塔への 転換時期を示す五層石塔が残っています。
羅城は、王宮を防御する外郭城壁であると同時に、都城の境界を示すために築いた6.3kmの城壁です。山地では、土を固めて築いた後に外側を石で仕上げ、湿地では木の枝や泥、木杭を打って地盤を補強するなど様々な築造技術を適用し、この技術は日本にも伝えられました。羅城の外にある王陵園(1号~7号墳)は、以前の時代より発展した石材加工技術が見られます。近くには、古墳群に祀られた王族の冥福を祈ったと推定される寺院の跡があります。ここから出土した百済金銅大香炉(国宝)は、道教と仏教が融合した世界観と百済の職人の芸術魂と技術が際立つ傑作で、国立扶余博物館に展示されています。
扶余
官北里遺跡と扶蘇山城
住所: 忠清南道扶余郡扶余邑聖王路229-16
電話番号: 041-830-2880
営業時間: 09:00~18:00 / 1月1日、ソルラル、秋夕休み
利用料金: 2,000ウォン
INFORMATION
ペクチェ歴史遺跡地区 (イクサン)。
イクサンワングンニ遺跡は、サビ時代後期のムワン(在位:600~641)の時に造成された宮殿跡です。宮殿の中心建物と推定される大きな建物の跡と古代のトイレなどの生活施設、フウォン、ワングンニ五層石塔が残っています。ムワンは、弥勒仏が地上に降りてきて世界を救うという思想を実現するため、大規模な弥勒寺を創建しました。広い平地に残っている寺の跡には、639年に建てられた西側の弥勒寺址石塔(国宝)が、約20年間の補修工事で復元されています。ムワンは、未亡人の母と暮らしていたソドン(ムワン)が一計を案じてシンラ(B.C57からA.D.935)のソンファコンジュを妻に迎え入れ、王になったという説話の主人公で、この物語は現在「イクサンソドン祭り」でも再現されています。
百済歴史遺跡地区 (益山)
益山王宮里遺跡は、泗沘時代後期の武王(在位:600~641)の時に造成された宮殿跡です。宮殿の中心建物と推定される大きな建物の跡と古代のトイレなどの生活施設、後苑、王宮里五層石塔が残っています。武王は、弥勒仏が地上に降りてきて世界を救うという思想を実現するため、大規模な弥勒寺を創建しました。広い平地に残っている寺の跡には、639年に建てられた西側の弥勒寺址石塔(国宝)が、約20年間の補修工事で復元されています。武王は、未亡人の母と暮らしていた薯童(武王)が一計を案じて新羅(B.C57~A.D.935)の善花公主を妻に迎え入れ、王になったという説話の主人公で、この物語は現在「益山薯童祭り」でも再現されています。
益山
王宮里遺跡
住所: 全羅北道益山市王宮面王宮里
電話番号: 063-859-5875
営業時間: 09:00~18:00 / 1月1日、月曜休み
利用料金: 無料
INFORMATION
ペクチェ歴史遺跡地区 (イクサン)。
イクサンワングンニ遺跡は、サビ時代後期のムワン(在位:600~641)の時に造成された宮殿跡です。宮殿の中心建物と推定される大きな建物の跡と古代のトイレなどの生活施設、フウォン、ワングンニ五層石塔が残っています。ムワンは、弥勒仏が地上に降りてきて世界を救うという思想を実現するため、大規模な弥勒寺を創建しました。広い平地に残っている寺の跡には、639年に建てられた西側の弥勒寺址石塔(国宝)が、約20年間の補修工事で復元されています。ムワンは、未亡人の母と暮らしていたソドン(ムワン)が一計を案じてシンラ(B.C57からA.D.935)のソンファコンジュを妻に迎え入れ、王になったという説話の主人公で、この物語は現在「イクサンソドン祭り」でも再現されています。
石窟庵は花崗岩で造られており、天井が丸い円形の主室の中央にある本尊仏像をはじめ、周辺の壁や前室、通路に39体の仏像が繊細に彫刻されています。本尊仏は、慈悲深く穏やかでありながらも威厳のある神秘的な表情で、蓮華台座に鎮座しています。本尊仏の手の形は、悪魔の誘惑を退け、地をついて仏の悟りを証明する降魔触地印です。本尊仏の背後の壁にある丸い蓮華文様の板石は、前室の中央から参拝者が見上げると神聖さが感じられるようにする光背の役割を果たしています。
仏国寺は、3つの形態の「仏の国」として空間が構成されています。大雄殿を中心に楼閣と青雲橋・白雲橋、多宝塔と釈迦塔がある最も広い空間は釈迦牟尼仏の娑婆世界、その隣の極楽殿、蓮華橋・七宝橋がある空間は阿弥陀仏の極楽世界、毘盧殿と観音殿がある場所は蓮華蔵世界を表しています。
建設の際には、荒い自然石で基檀を築き、その上に形を整えた人工石をバランスよく使用して堅固にしました。大きく華やかに造られた青雲橋・白雲橋、小さく単純に造られた蓮華橋・七宝橋、そしてそれぞれ異なる形式で作られた多宝塔と釈迦塔において、美しい非対称の調和が見られます。
慶州にある石窟庵(ソックラム)と仏国寺(プルグクサ)は、751年から774年の間に新羅の宰相・金大城によって造成された古代仏教遺跡です。石窟庵は緻密な数理、幾何学の原理と建築技術を適用して築造した石窟と、造形感覚が際立つ内部の釈迦牟尼仏と様々な浮彫像からなります。仏国寺は「仏の国」、理想的な彼岸の世界を移した空間で、木造建築物や石造基檀、石塔などがよく調和し、古代韓国寺院建築の特別さを表しています。
INFORMATION
仏国寺
住所: 慶尚北道慶州市仏国路385
電話番号: 054-746-9913
テンプルステイ 054-746-0983
営業時間: 09:00~17:00 / 年中無休
利用料金: 6,000ウォン
Webサイト: www.bulguksa.or.kr
交通手段: 東海線仏国寺駅から11番バスで15分
石窟庵
住所: 慶尚北道慶州市仏国路873-243
電話番号: 054-746-9933
営業時間: 09:00~17:00 / 年中無休
利用料金: 6,000ウォン
Webサイト: www.seokguram.org
交通手段: 仏国寺から12番バスで20分
無形文化遺産。
チョンミョジェレおよびチョンミョジェレアク。
宗廟祭礼は、朝鮮王朝と大韓帝国で行われていた先祖に捧げる祭享儀式で、宗廟祭礼楽に合わせて執り行われます。15世紀に定められた形態のまま500年以上続けられている、厳粛かつ整斉とした総合芸術だと言えます。厳格な祭祀の順序に合わせて踊りや歌、音楽を添えた国家的な祭礼行事で、宗廟で行われました。
儒教国家として出発した朝鮮王朝は、孝道を人が守るべき最高の道理と考え、国を治めるのに最も重要な規範としたため、先祖に対する孝道の祭祀を特に重視しました。宗廟祭礼は、その模範を示す国家儀式だったため、荘厳かつ厳格な順序で執り行われました。
宗廟祭礼は、祖上神を迎え、料理や踊り、音楽で楽しませた後、再び送り出すという順序で構成されています。祭祀を進行する祭官や楽士、踊り手など参加者全員が定位置に就くと、王は香を焚いて祖上神を迎え入れます。続いて祭祀料理や肉、お酒を捧げて祖上神を楽しませる過程があり、その後に祭祀に使ったお酒や料理を下げ、祖上神を送りだすという順序で行われます。
INFORMATION
宗廟
住所: ソウル特別市鐘路区チョンロ157
電話番号: 02-765-0195
営業時間: 09:00~18:00 / 火曜休館、時間制観覧 / 自由観覧: 毎週土曜日、祝日など
日本語ガイド 09:00、09:40、10:40、11:40、12:40、13:40、14:40、15:40、(3~9月のみ)16:40
Webサイト: jm.cha.go.kr (日)
交通手段: 地下鉄1・3・5号線チョンノサムガ駅11番出口から徒歩5分
宗廟大祭: 毎年5月第1日曜日と11月第1土曜日
National Palace Museum of Korea
宗廟祭礼楽は、宗廟祭礼が進行する各順序ごとに演奏される音楽で、毎年5月と11月に行われる宗廟大祭で「保太平」と「定大業」が伝統楽器で演奏されます。打楽器の編鐘、編磬が主旋律で、唐笛、大笒のような管楽器、奚琴、さらに杖鼓、鉦、太平簫などが演奏されます。音楽が演奏される間、8列で構成された64人の踊り手は、笛や木刀など象徴的な小道具を持って簡潔で力強い動作で踊り、王の功徳を称賛します。
宗廟祭礼および宗廟祭礼楽は、宗廟で行われる厳粛で洗練された総合芸術だと言えます。
キムジャン、キムチ作りと分かち合い文化。
キムジャンとは、韓国人が長く厳しい冬の間に食べる大量のキムチを漬けることを言います。キムチは、「ティムチェ(野菜の塩漬け)」を語源とする野菜保存食品で、香辛料や海産物で味付けしたものを発酵させて作ります。キムジャンは、代を引き継いでキムチの製法を伝え、家族や隣人を団結させる古い習慣かつ生活文化です。
キムチは数百種類あり、階層や地域を超えて韓国人の食事に欠かせない食品です。ビタミン、ミネラル、乳酸菌が豊富で味と栄養に優れ、免疫力を高めるすばらしい食品として評価されています。キムチは、旬の野菜を利用して頻繁に漬けますが、野菜を入手するのが難しい冬はあらかじめ一度にたくさん漬け、保存して食べます。
Cultual Heritage Adbinistration X BIBIGO
キムジャンには、毎年季節ごとに準備すべきことがあり、その過程は1年にわたります。春には各家庭で海老、カタクチイワシなどの海産物を塩で漬け発酵させて塩辛を作り、夏には天日塩を購入して苦みを抜いておきます。夏の終わりには唐辛子粉を準備し、秋の終わりにはキムチを一番おいしく仕込んで保存できる天気(温度)を考慮し、共同で作業する日を決めます。キムチを保存する容器のキムチ甕も、地面に埋めて準備します。
キムジャンは、白菜を株ごと味付けして混ぜ合わせる「白菜キムチ」を中心に漬けます。まず、1日か2日程前から塩漬けにした白菜を数回水洗いして水気を切り、次に大根、ネギ、からし菜、にんにく、生姜などを下準備し、粉唐辛子、海産物、塩辛などを混ぜて作った薬味を白菜の葉一枚一枚に塗り込みます。また、白菜キムチ以外にも、大根を塩水につけて発酵させてスープと一緒に食べる大根の水キムチ、ネギを主材料とするネギキムチ、大根を角切りにして作るカクトゥギなど、様々なキムチを一緒に漬けます。
現在は家族構成や住居文化が変化し、家でキムチを漬けずに購入する家庭が増えています。また、韓国にしかない家電製品「キムチ冷蔵庫」で長期間保管することもあります。それでも、各共同体や団体が数百、数千株のキムジャンをして生活に困った人々に配る行事は続いています。韓国のキムジャン文化は、キムチのそれぞれ異なる味や秘法を共有する方法であると同時に、隣人を思いやる美しい風習となっています。
KoreaFoundation
アリラン、韓国の抒情民謡。
韓国を代表する民謡のアリランは、長い年月をかけ数世代を経て多くの人々の考えや言葉を加えて作られた歌です。「アリラン アリラン アラリヨ」というサビと、短く単純な2行の歌詞で構成されています。一緒に歌いやすく、誰でも作詞や即興の編曲がしやすいという長所があり、様々な音楽ジャンルに取り入れられて今日に至ります。
アリランが始まった時期と歌詞は正確には分かっていませんが、「アリラン」という題目の民謡は約60種類、3,600曲あると推定されています。代表的なものには、韓半島の中東部にある江原道の「旌善アリラン」、南西部にある全羅南道の「珍島アリラン」、南東部にある慶尚南道の「密陽アリラン」があります。
INFORMATION
旌善アリランセンター
住所: 江原道旌善郡愛山路51
電話番号: 033-560-3031
営業時間: 10:00~18:00 / 1月1日、ソルラル、秋夕、月曜休館
利用料金: 2,000ウォン
Webサイト: www.arirangmuseum.or.kr
密陽アリラン伝授・展示館
住所: 慶尚南道密陽市密陽大公園路112 密陽アリランアートセンター別館1階
電話番号: 055-359-4527
営業時間: 10:00~18:00 /月曜休館
利用料金: 無料
Webサイト: www.mycf.or.kr
交通手段: 密陽市外バスターミナルからタクシーで5分
アリランが全国的に広まったのは19世紀半ばで、歌い手を職業とする人たちが大衆民謡としてアリランを歌うようになってからです。その後、多くの大衆民謡アリランがさらに創作され、1926年に羅雲奎(ナ・ウンギュ)監督が制作した抗日精神を描いた映画『アリラン』でも、当時流行したアリランのひとつを編曲して主題歌に使用しました。映画が大成功を収めると主題歌のアリランも全国的に流行し、その後も韓国近現代史の渦の中で国と故郷を離れた人々の心の歌として広まりました。
非公式的の国歌と呼ばれるほど、国内だけではなく海外移民者やその子孫に至るまで、すべての韓民族が階層を超えて普遍的に愛唱するアリランは、現在も韓民族をひとつにし、音楽、映画、ミュージカル、ドラマ、ダンス、文学など様々な芸術分野を通じて絶えず再創造されています。
旌善アリラン
珍島アリラン
密陽アリラン
4 : 20
3 : 24
2 : 35
世界の記憶。
フンミンジョンウム(ヘレボン)。
Cultural Heritage Administration, Korea Cultural Heritage Foundation, k-heritage.tv URL http://www.k-heritage.tv/main/en
『訓民正音(解例本)』は、朝鮮第4代王の世宗(在位:1418~1450)が創製した文字「訓民正音」を解説した本です。訓民正音は、韓国の文字「ハングル」制定時の名称で、この本は訓民正音を誰が、どのように、なぜ作ったのか、どのように読み書きするのかなどについて説明されています。『訓民正音(解例本)』は、特別な目的を持って計画的に創製した文字についての説明が記載されている世界唯一の記録です。
世宗は、民衆が文字を知らないことを憐れに思い、「民に訓える正しい音」という意味を持つ訓民正音を創製し、1446年旧暦9月に文字名と同じ名前をつけた本『訓民正音(解例本)』を通じて頒布しました。訓民正音は、発音器管を模して作った子音17字、母音11字を合わせた28字を組み合わせて発音を記号で表せるようにした体系的な表音文字で、誰でも簡単に学んで書くことができます。
『訓民正音(解例本)』は、世宗が直接作成した頒布文が記載されている「例義」と、当時の学問研究機関の集賢殿の学者が例義の内容を詳細に解説した「解例」で構成されています。例義は、訓民正音の創製目的とともに初声字と中声字の音や使用方法を伝える内容で構成されています。
解例は、訓民正音を作った原理について説明する制字解、文字を構成する初声解、中声解、終声解と3つの音を合わせて文字にする方法を解説した合字解、合字法を用いた123単語の例を挙げた用字例で構成されています。最後の鄭麟趾序文(解例の序文)では、解例の執筆経緯や新しい文字の特徴、長所などを簡単に説明しています。
NATIONAL HANGEUL MUSEUM
朝鮮王朝ウィゲ。
朝鮮王朝『儀軌』は、朝鮮時代の主要行事や儀礼の内容を決められた規則に従って時代、テーマ別に分類し、文章と絵で整理した本です。朝鮮初期に制作されたものは壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失し、17世紀から20世紀初めまでに制作された約4,000冊が残っています。そのうち、ソウル大学奎章閣で保管中の546種2,940冊と、韓国学中央研究院で保管中の287種490冊が、世界の記憶に選定されました。
朝鮮王室は王と王妃の即位、婚姻、葬礼などの行事や外国使節の接待など、繰り返し行われる行事を記録に残し、後代に参考できるようにしました。儀軌には、行事を行う時に作成した各種文書や業務分掌表、担当者名簿、動員された人員、所要物品、必要経費など細かい内容が書かれた文章と絵で、行事の全過程を記録しました。
行事の絵を描いた班次図、絵と説明を一緒に記載した図説など、絵の資料は上からまたは横と後ろから眺める立体的表現で、現在の視覚資料に匹敵するほど鮮やかです。また、儀軌の文章と絵は各時代を反映し、当時の生活ぶりの変化を見せてくれます。
儀軌は、筆写本や活字本として5~9部作られましたが、王が閲覧するために作った御覧用儀軌は、主要官庁や史庫に分けて保管するために制作した儀軌とは異なります。御覧用儀軌は1部のみ作られ、絹の表紙と装飾がなされ、高級紙を使用して輿や儀仗物(儀礼に用いられる武器・武具)、繊細に表現された人物の表情や特徴、色感がそのまま維持されています。
儀軌は、東アジアの支配的理念だった儒教社会の過去の遺産を保存している記録でもあります。儒教は、民を治め社会秩序を維持するための方法として儀式の手順や儀礼を特に強調しました。儒教を統治理念に掲げた朝鮮王朝の国家儀式が盛り込まれた儀軌からは、儒教の普遍的理念が理解できます。
INFORMATION
ソウル大学奎章閣韓国学研究院
住所: ソウル特別市冠岳区クァナクロ1 103棟
電話番号: 02-880-5317
営業時間: 09:30~17:30 / 土日・祝日休院
利用料金: 無料
Webサイト: kyu.snu.ac.kr
交通手段: 地下鉄2号線ソウルデイプク駅3番出口から5511番バス、シャトルバスで20分
外圭章閣儀軌
Webサイト: www.museum.go.kr/uigwe
『園幸乙卯整理儀軌』
正祖(在位1776~1800)の母、恵慶宮洪氏の還暦儀礼を記録した儀軌。1795年、現在の水原城郭の華城で行われた還暦祝いの宴や、行幸のために漢江に設置した浮き橋の建設などが確認できます。
『英祖貞純王后嘉礼都監儀軌』
1759年の英祖と2番目の王妃貞純王后の婚礼を描いた儀軌。50面に達する班次図には馬379頭、人間1,299人からなる1.5kmの行列が描かれています。
班次図
官吏が並ぶ順番で行事場面を描いた絵。行列の様子を上から下に見下ろす方式で描かれ、行事会場全体を把握しやすくなっています。
トンウィボガム。
東医宝鑑の構成は、内科疾患に関する内景篇、外科疾患を扱った外形篇、流行病、急性病などを盛り込んだ雑病篇、薬剤、薬物に関する湯液篇、鍼と灸に関する鍼灸篇の5分野に分かれています。各篇には病気の理論、処方、出典などが体系的に整理されています。また、東医宝鑑は「養生」という予防医学の概念を医学に反映した最初の医学書という点においても、重要な意義があります。
東医宝鑑の養生では、人間の疾病を身体的原因だけではなく社会的、精神的要因が複雑に作用した結果から来るものとみなしています。したがって、病気を治療することより病気にかからないように健康的に生活することがより有益だと強調しています。これは、現代医学が疾病予防の重要性を強調
し始めた時期よりも200年以上前のもので、医学書として唯一ユネスコ世界の記憶に選定されています。
INFORMATION
国立中央図書館
デジタル閲覧: www.nl.go.kr
許浚博物館
住所: ソウル特別市江西区ホジュンロ87
電話番号: 02-3661-8686
営業時間: 10:00~18:00 / 1月1日、ソルラル、秋夕、月曜休館
利用料金: 1,000ウォン
Webサイト: www.heojun.seoul.kr (日)
交通手段: 1地下鉄9号線カヤン駅1番出口から徒歩10分
ソウル韓方振興センター
Webサイト: kmedi.ddm.go.kr (日)
大邱薬令市韓医学博物館
Webサイト: www.daegu.go.kr/dgom (日)
韓国のユネスコ世界遺産についての詳細は、電子書籍は韓国観光公社VisitKoreaウェブサイトの「観光パンフレット」、また資料請求は各地域の管轄支社ページをご確認ください
韓国観光公社
本社
住所: 26464 大韓民国江原道原州市世界路10
電話番号: +82-33-738-3000
東京支社
住所: 〒160-0004 東京都新宿区四谷4-4-10
コリアセンター6階
電話番号: 03-5369-1755
ファックス: 03-5369-1756
メール: [email protected]
管轄地域
北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県
大阪支社
住所: 〒540-6123 大阪市中央区城見2-1-61
ツイン21MIDタワー23階
電話番号: 06-6942-0847
ファックス: 06-6942-0803
メール: [email protected]
管轄地域
富山県、石川県、福井県、岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、岡山県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県
福岡支社
住所: 〒812-0011 福岡市博多区博多駅前2-1-1
朝日ビル5階
電話番号: 092-471-7174
ファックス: 092-474-8015
メール: [email protected]
管轄地域
島根県、広島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県