2022/12/07
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記録的な猛暑と豪雨が続いた2022年の夏。
この夏に長く残る思い出はなかったかと、
記憶を辿ってみた。だが、残念ながらクーラーの効いた部屋でスマートフォンばかりいじっていた自分の姿しか思い浮かばない。
24時間、スマートフォンの中のSNSとメッセンジャーで他人とつながっている暮らしをしているわたしたち。
でも、大切なのは、この小さな画面の中にあふれる多数の人々とのつながりではなく、
自分の内面に集中する時間ではなかったかと、ふと思った。

くらくらするような暑さの中、外に出るだけでもふらふらしてしまった夏も過ぎたことだし、
しばし世の中とのつながりを切って、一人だけの時間を過ごすことにした。
身体中の毒素を抜いて自分を浄化するという意味のデトックスという言葉。
最近では、電子機器から離れて自分の内面の状態をチェックし、
一人だけの時間をつくるという意味の「デジタル・デトックス」という言葉も生まれている。
自分の健康のためもあるが、電気エネルギーを節約して炭素排出量を減らすためにも、
デジタル・デトックスはなかなか効果のある方法である。


旌善の200年の歳月を
この場所で黙々と守ってきた
桑惟斎
夏の終わり、デジタル・デトックスに挑戦するために訪れたのは、
旌善(チョンソン)にある品質認証の宿、桑惟斎(サンユジェ)だ。
桑惟斎は、200年という歳月の間この場所にあって、
孤高な趣を守ってきたおかげでその価値を認められて、
江原(カンウォン)道有形文化財第89号にも指定されている韓屋の宿である。
近代的な建物が並ぶ郡庁一帯で、桑惟斎は独り、
積み重なってきた歳月の趣を漂わせていた。
特に、裏門には大きな2本の桑の木が立っている。
高麗時代末期の記録にも出てくるというこの木は、
現在韓国で最も大きく古い桑の木でもある。


文化財として長い歳月は貴重に感じるものだが、宿を訪れる旅人の立場としては、
その歳月の分だけ施設も古いのではないかと心配になるもの。
だが、桑惟斎は韓国観光品質認証マークを取得しているだけあって、
宿としての基準を守ることに丹念である。
高い価値のある建物だけに、施設のクオリティの維持や補修工事にもどれだけ気を遣うことだろう。
そのためか、桑惟斎は中庭から客室まで、スローで心地の良いゆとりがあふれていた。
滞在する人も、守っていく人も誰一人せわしくなく、そこでの時間に溶け込んでいるだけだった。


中庭の一画には、素朴な佇まいのカフェもある。
映画のロケ地のように独特な雰囲気が漂い、
桑惟斎の古風な面影とは違ってエキゾチックな印象もあり、宿泊客にも定番の施設である。
旌善郡カフェ図書館第1号に指定されているここは蔵書もかなり豊富なので、
落ち着いた雰囲気の中で静かに本を手に取って読むのもいい。


古宅のロマンがあふれる場所
テチョンバン
桑惟斎では、部屋の大きさに合わせてテチョンバン、サランバン、コンノバンという客室を用意している。
韓屋に慣れていない旅行者の場合、客室ごとに建物が分かれていると思うかも知れないが、
ここは一つの建物の中にある部屋を別々に使う形の客室となっているので、この点を確認してから予約しよう。
今回お邪魔したテチョンバンは、寝室にテチョン(板の間)のスペースが付いていて、
古宅の雰囲気を満喫するのにぴったりのいいお部屋だった。
秋のそよ風が吹いてくるこの時期、窓を開け放して中庭を眺めているだけでも、心が洗われるような気分になる。


寝室は洗練されたデザインの壁がモダンな印象で、
クーラーと床暖房の冷暖房設備も充実していた。
お手洗いもモダンですっきりした構成で、不便なことはない。
まるで田舎の家に遊びに来たような、趣のあるカラフルな布団が畳んで用意してあり、どこか懐かしい感じがした。
スマートフォンの電源を切って、静かな部屋の中で日記を書きながら、一人の時間に浸ってみた。
1分という時間がこんなに長かったものかと、一人で時間が流れるのをゆっくりと見守った。


スマートフォンなしでどうやって楽しい旅ができるのかと聞かれるかもしれない。
だが、桑惟斎にはスマートフォンがなかった時代、
どこでも人気だった韓国の伝統遊びの道具を貸し出している。
囲碁、チェギチャギ、投壺などなど。デジタルにあらゆるものが移行していく時代に、
依然として遊んでくれる人を待っている遊び道具を見ながら、なんだか嬉しくなった
。五目並べ、碁石おはじき、そして囲碁と、
時間がたっぷり必要な遊びを楽しんでいたら、いつしか日も暮れていた。


遠くから眺めて、近くで感じて
アリヒルズ・スカイウォーク&旌善レールバイク
旌善のみどり豊かな自然の景観を楽しむための2つの方法をご紹介したい。
一つは、自然の贈り物である韓半島の形をした地形を見下ろすことのできる展望台であるアリヒルズ・スカイウォークだ。
「丙方峠(ピョンバンチ)スカイウォーク」という名前でも知られるここは、
その名前のように山が足元に広がり、空の上を歩いているような体験ができるスポットだ。
みどりの山、きれいな川が魅力の旌善の風景を広く、大きく眺めることができる場所で、
秋にしか見られない色とりどりの紅葉が絶景だそうなので、
みどりの夏を見逃したからといって残念がる必要はない。


旌善レールバイクは、レジャー施設としての楽しさだけでなく、
アップサイクリングや資源循環の価値も併せ持つ観光スポットだ。
2004年から運行が止まった廃線区間を放置したり撤去する代わりに、
レールバイクを運行する施設として新しくリノベーションしたものだ。
山なのでペダルをこぐのが大変ではないかという心配は無用。
コースの利便性を考えて上り下りが適度に構成されていて、
大変というよりは楽しく乗ることができるはずだからだ。
約40分ほどの間に、山を駆け抜けながら映画のワンシーンのような風景を楽しむ躍動感ある体験は、
どんな観光よりも面白く、新鮮な快感を味わうことができるはず。
暗いトンネル、森の中、田舎の集落、川辺など、
ペダルをこぎながら次々と目の前に広がる多彩な旌善の風景を目に焼き付けよう。

白黒の世界の中での労働を耐え抜いた
工業化時代の労働者を覚えて
三炭(サムタン)アートマイン
過去の記憶はそのまま残し、
新しい文化観光地としての歩みを歩み始めているスポットは、レールバイクの他にもまだある。
2001年に廃鉱となった炭鉱施設が観光地に生まれ変わったここも、
旌善を代表するアップサイクリング観光スポットである。
工業化の時代、厳しい労働条件に耐え抜いた鉱山労働者を記憶するための空間が設けられているのに加え、
観光客を続けて誘致し地域との共生を図るための企画プログラムも開催されていて、その価値は深い。


見どころも満載だ。かつての炭鉱施設での労働現場をリアルに記録している歴史博物館と、
様々なアート展示を開催する現代美術館、炭鉱施設の灰色の風景をそのまま再現した「レール・バイ・ミュージアム」、
そしてビンテージな趣あふれるカフェまで、時間を十分とって訪れるのにいい。
「アリラン、アリラン」
楽しい歌を思わず口ずさむ
旌善アリラン市場の名店、
フェドンジプ
江原道を代表する伝統市場と言っても過言ではないほど大きな規模とたくさんの利用客を誇る旌善アリラン市場。
かつて炭鉱地域だった時代、旌善の人口はなんと13万人に達したほどだったので、
かつてこの旌善アリラン市場とここで開かれた五日市がどれだけ重要な役割を果たしたのか想像できる。
炭鉱産業の衰退によってできた空白は、観光産業と公共交通手段の発達によって埋められた。
地元の人々の市場だったここは、今や韓国全国からたくさんの観光客が訪れる観光スポットになっている。



鳴り続ける携帯電話を手放すと、カメラできれいな写真が撮れる両手が空いた。
いつも下の方ばかり見ていた頭を上げると、旌善の余裕のある静かな風景が目に入ってきた。
昼夜問わずSNSとメッセンジャーでつながるデジタルの世界と距離を置くと、
仕事で疲れて空の色や木の形を一度もきちんと見る暇もなかった自分だけのプライベートな時間ができた。
流れていく雲の形を指先でなぞりながら、桑惟斎の軒下に寝転んで時間を過ごした。
思いつくままに考え事をしながら過ごす時間の中で、何かがゆっくりと解けていくのを感じた。
これまで忘れていた余裕というものではないかと、ふと思った。