2023/05/26
1.5K
0
0
世界の記憶
訓民正音
朝鮮王朝実録
直指心体要節
東医宝鑑
訓民正音とは「ハングル」の古称であり、訓民正音解例本はハングルを作った目的や文字の原理、使用方法などが記された解説書のことです。訓民正音にはすべての民衆が文字の読み書きができることを望んだ世宗(セジョン)大王の深い意味が込められています。この書籍は集賢殿の学者を中心として執筆されたもので、1446年に国民にハングルが配布されました。ハングルの各文字は発声器官の形を基にして作られ、科学的で独創的な言語として高く評価されています。
朝鮮王朝実録とは、朝鮮時代のそれぞれの王の在位期間に起きた出来事を年代順に記録した歴史書物のことです。この書物には朝鮮の歴代の王の歴史と文化全般を含めた毎日の出来事が記録されており、25人の王が在位していた470年以上の長い歴史が記されています。
承政院日記は朝鮮の歴史と国家機密が記録されています。王の日課や指示内容、臣下が上疏した文書、様々な報告内容の他、天候などの記録が残っています。細かく記された3000巻余りのこの記録物は、朝鮮時代を研究する際に重要な資料となっています。
仏祖直指心体要節は清州(チョンジュ)の興徳寺で1377年に金属活字で印刷された書物です。この書物は高麗時代の僧侶である白雲和尚が様々な釈迦の教えを抄録した仏教書で、現存する世界最古の可動金属活字本の証拠であり、人類の印刷歴史上もっとも重要な技術的変化を見せています。特に東洋の印刷の歴史に多大な影響を与えた記録遺産としてその価値が認められています。
朝鮮王朝儀軌とは朝鮮時代に行われた王室の重要な行事や国家の建築事業などを文字と絵で記録した書籍です。儀軌には儒教の伝統に則って行われていた王室の結婚式や世子の冊封、王の行次(行列を引き連れて外出すること)、葬式などの行事の詳細が主に絵で記録されています。行事などが行われているその場で絵を描き、説明を入れたもので、朝鮮王室の行事の規模や美しさなど、儀軌に盛り込まれた情報は歴史研究に高い資料価値を持っています。
高麗大蔵経は大蔵経の版木が8万枚であることから「八万大蔵経」と呼ばれています。高麗大蔵経板は高麗王朝の後援により進められた事業で、諸経板はそれとは別に海印寺の後援で制作されたものです。1098年から1958年に制作された5千枚以上の木彫りの諸経板が海印寺に保管されています。いずれも統一された書体で美しく刻まれており、当時最高の印刷技術の事例として文化的価値が非常に高いものです。
東医宝鑑は東洋医学の理論と実際という意味で、疾病ごとの原因、症状と処方などを体系的に整理した総合医学書です。王の命により、医学専門家と学者が協力し、許浚(ホ・ジュン)が書籍を作り上げました。この書籍には実際に患者の治療にあたりながら経験した医学情報の他、中国と韓国の様々な医学知識がひとつに集められ、整理されています。また病気を未然に防ぐ方法を多くの民衆が理解できるよう、漢字とハングルを使って書き記されています。
日省録は、朝鮮時代の歴代の王が自らの統治に対する反省と今後の国の統治に参考になるような内容が書き記された日記です。朝鮮の第22代国王「正祖」が王位を継承する前から書き始めた日記がその始まりとされています。正祖が王位に就き、奎章閣(王室図書館)の臣下にも日誌を書かせて承認を受けさせるようにしたため、国の公式的な事柄を記録する用途に変わっていきました。この作業は歴史的記録としての価値だけでなく、18~20世紀までの東・西洋の政治や文化交流についての詳しい説明と世界の流れを知ることができるという点で世界史にとって価値があるものといえます。
1980年5月18日から27日まで韓国の光州で起きた5.18光州民主化運動に関する記録物です。5.18光州民主化運動記録物は市民の抗争および加害者の処罰、補償に関する文書、写真、映像など、様々な形態で残されています。
乱中日記は「李舜臣(イ・スンシン)」将軍が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に書いた日記です。壬辰倭乱が始まった1592年1月から、李舜臣将軍が勝利を目前に戦死した1598年11月の露梁海戦までの出来事が、ほぼ毎日記録されています。戦争中に軍司令官が経験したことが記された類まれな日記です。李舜臣将軍の考え、当時の天候、戦争が起きた場所の地形、市民が生活する姿などがつぶさに記されている他、韓国人が愛する詩も多数含まれているため、文学的価値もあります。
セマウル運動は農民たちの自発的な参加と韓国政府の積極的な支援体制によって成功を収めた地域開発運動です。勤勉、自助、協同の3つの精神が農村の住民たちの間に広がり、貧国であった韓国が急速な経済成長と民主化を成し遂げました。韓国人のこうした精神と経験は、急速に国家発展を成したひとつの成功事例として国際社会から注目されました。セマウル運動記録物は1970年~1979年まで韓国で展開されたセマウル運動に関する記録物で、大統領の演説文、政府文書、村単位の記録物、手紙、セマウル運動教材、写真、映像などがあります。
韓国の儒教冊版は朝鮮時代の学者の本を印刷し、発刊するために作られた冊版です。305の家から寄託された6万枚以上の木版で、様々な時代の文学、政治、経済、哲学などの内容で構成されています。この冊版は様々な地域の有識者の共同体が長年に渡って作ってきたもので、学問的な媒介となり、これにより学者たちは集団的知性を形成するようになりました。また、本の制作を議論・決定し、費用を負担する共同体出版は、世界に類を見ない形態です。
離散家族の苦悩と再会の瞬間を収めたKBS特別生放送『離散家族を探します』は、テレビ媒体を利用した世界最大級の離散家族を探す番組です。435時間45分もの時間をかけて生放送で実施されたこの番組では、5万件以上の離散家族の事情が紹介され、1万件の離散家族の再会が成し遂げられました。KBS特別生放送『離散家族を探します』の記録物には、KBSが1983年6月30日から11月14日までの放送期間138日間に生放送したビデオ録画の原本テープ463本、担当プロデューサーの業務記録、離散家族が作成した申請書、毎日の放送進行表、キューシート、記念音盤、写真などが含まれています。
御宝は金・銀・玉でつくられた朝鮮王室の儀礼用印章です。王・王后に称号を贈ったり、王妃・世子・世子嬪を冊封する際に製作されました。御冊は世子・世子嬪を冊封したり妃・嬪に職位を下賜するという内容を記録した文書で、一種の証明書です。国王から御宝と御冊を受けることで王権の継承者として正統性を認められます。王朝の永遠の持続性を象徴する御宝とそれを説明する御冊は王族が死亡すると、一緒に墓に奉安されました。これは王室の構成員としての正統性が永遠に続くということを意味します。こうした面からみた場合、御宝と御冊は朝鮮王室に政治的な安定をもたらすのに大きな役割を果たしたといえます。御宝や御冊に記された文言や字体、材料、装飾は非常に多様で、時代的な状況をみてとれる充分な史料となることから、世界記録文化遺産としての価値が非常に高いといえます。
朝鮮通信使記録物(朝鮮通信使に関する記録)は、1607年から1811年までの間、江戸幕府の招請により12回にわたって、朝鮮国から日本国へ派遣された外交使節団に関する資料です。 この資料は韓国と日本に存在しています。朝鮮通信使は16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮を侵略した後に断絶していた両国の交流を回復し、平和体制構築に大きく貢献しました。朝鮮通信使に関する記録は外交記録、旅程の記録、文化交流関係記録で構成された総合資産です。この記録は両国の歴史的経験によって証明された平和的・知的遺産といえ、平和共存の関係と文化の尊重を志向しなければならない人類共通の課題を解決するという点において価値を持っています。
国債報償運動記録物は、国が背負った借金を国民が返すため、1907年から1910年まで続いた国債報償運動の全過程を記したものです。韓国の男性は酒とタバコを断ち、女性は指輪やかんざしを差し出し、妓生や泥棒までもが義捐金を出すなど、国民の約25%がこの運動に自発的に参加しました。韓国の国債報償運動はイギリスのジャーナリストが韓国で発行する英字新聞によって西洋諸国に知られるようになり、また、海外留学生や移民が外国で発行する新聞を通じて海外に知られるようになりました。
1907年オランダのハーグで開かれた「第2回万国平和会議」において国債報償運動が全世界の知るところとなったことは、外債で苦しむ国々にとって大きな刺激となりました。それから90年後の1997年、アジア通貨危機が発生した際、韓国では「金集め運動」という第2の国債報償運動が起きました。当時、国家破綻の危機的状況にあり、韓国国民は国債報償運動を再現しました。このように国債報償運動の精神は、市民の連帯によって債務者の責任を果たし、国難を乗り越える人類普遍の精神だといえます。
韓国の国債報償運動記録物は、国家的危機に対して自発的に対応する「市民の責任」の底力を見ることのできる歴史的記録となっています。