2021/12/10
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美しい風景の中にソンビ(儒生)の思いが染み込んでいる古宅安東・玉淵精舎
河回村は昔も今も旅人の心を鷲掴みにする。太白山の地脈である花山を背負い、洛東江に向かい合っている河回村には韓国伝統の美しさが滲んでいる。由緒ある韓屋がずらりと並ぶ村の路地を歩いていると、いつの間にか川辺の松林、萬松亭にたどり着く。洛東江の向こうには、川風に晒された芙蓉台がそびえ立つ。芙蓉台の崖の下の森の合間に、瓦屋根が目に入る。西厓(ソエ)・柳成龍(リュ・ソンニョン)が壬辰倭乱の回顧録『懲毖録』(国宝)を執筆した玉淵精舎だ。隠れているような玉淵精舎は、安心旅行で静かな時間を過ごすのにぴったりな宿だ。河回村からは車で10分距離だ。
玉淵精舎は、宣祖19年(1586)に建てられた古宅だ。西厓・柳成龍が老後に隠居する場所として芙蓉台の裾尾を整地し、僧侶・誕弘(タンホン)の援助を受け完成させた。ムンガンチェ(門屋)、アンチェ(母屋)、ピョルダンチェ(離れ屋)、サランチェ(客屋)がそれぞれ一列に並んでいる。サランチェの洗心斎とピョルダンチェの遠楽斎が古宅体験空間に使われている。
洗心斎は、心を磨き洗う所という意味で、後学を養成するための書堂(ソダン)として使われた。板の間を挟んで左側と右側に部屋が一つずつある。左側の部屋と右側の部屋は雰囲気が似ているので、どちらを選んでも後悔はない。部屋には分厚い敷布団の上に上品に刺繍が施された掛け布団がきれいに置かれていて、蝶の金具で飾られた箪笥や屛風などの伝統的な小物が昔の情趣を醸し出す。部屋の戸を開けると洛東江の川筋が目に飛び込むのが一番の魅力だ。居間に座って松林の香りを感じながら、洛東江を鑑賞すると自然とヒーリングされる。
二つの部屋を両方予約すれば洗心斎を貸し切りで利用できる。貸し切りの良い所は、板の間を広く使えることだ。両部屋をそれぞれ予約すると、板の間の真ん中にすだれを下ろして、屛風を立てて分離して使うことになる。浴室は別の棟にある。客室ごとに指定された専用の浴室がある。共用ではないので気楽に使うことができる。
遠楽斎は西厓・柳成龍が『懲毖録』を執筆しながら過ごしていた部屋だ。『論語』の学而篇に載っている 「有朋自遠方來、不亦樂乎」から取った名前で、「遠くから友人が訪ねて来てくれる、何と楽しいことではないか」という意味が込められている。部屋一つと居間がある遠楽斎は、2人から6人まで貸し切りで利用できる。きれいな寝具と伝統小物が飾られた部屋の雰囲気は洗心斎と同じだが、大きさは洗心斎の二つの部屋を足した分だけ大きい。遠楽斎の前には柳成龍が自ら植えた松の木がある。客室の戸を開けたり、居間に座ると松の木と調和する洛東江の風景が絵のようだ。
洛東江12景のうちの一つである芙蓉台が目と鼻の先だ。玉淵精舎から芙蓉台までは歩いて20分ほどかかる。朝は宗家の味が感じられる韓食が無料で提供される。
Nearby Tourist Destination
豊山(プンサン)・柳(ユ)氏が600余年間代々住んできた伝統村だ。宝物に指定された養真堂、忠孝堂をはじめ、鵲泉古宅、養吾堂古宅などの古家と藁葺家、石垣が昔の姿のまま残されている。鬱蒼な松林、萬松亭の自然美も欠かせない見どころだ。
西厓・柳成龍と彼の息子、柳袗(ユ・ジン)が祀られた書院として、1572年に西厓の意に沿って今の場所に移され、哲宗14年(1863)に「屏山」という名を下賜され賜額書院となった。講堂である入教堂と尊徳祠、晩対楼などがある。韓国で最も美しい書院で知られる。講堂の居間からは、悠々と流れる洛東江と古風な姿の晩対楼が調和した優れた風景が目の前に広がる。