0
0
韓国で初めて作られた古い貯水池の重修碑と堤。その後、新羅元聖王6年(790)と高麗現宗および仁宗21年(1143)に改築、朝鮮太宗15年(1415)に築き直され、1420年(世宗2年)に豪雨で流失したとされています。 現在、遺跡には一直線に約3キロメートルの堤だけが残っていますが、1925年に「東津土地改良組合」がこの堤を農業用水の引き込み水路に改造して利用することにより、元の姿を失ってしまいました。堤の北には朝鮮時代に碧骨堤(ピョッコルチェ)を築き直し、これを記念するために立てられた碑石があるものの、摩耗して文字の識別が困難になっています。 1975年に貯水池の水量を調節する水門があった2ヶ所を発掘調査したところ、高度な測量技術による大規模な工事だったことが判明しました。碧骨堤は単に韓国初の貯水池であることにとどまらず、当時既にこのような貯水池の築造が可能なほど高度に発達した土木技術を有していたことを証明した点で、韓国の科学技術史においても画期的な事実を示す遺跡であるといえます。また、ここには昔の農耕文化を垣間見ることができる農耕文化博物館や農耕史テーマ館および体験館、韓国の東洋画家ナ・サンモクの作品を展示する碧川美術館など様々な観光地があるので、そちらも一緒に見て回るとよいでしょう。