2022/06/02
3.5K
0
0
ソウルの観光スポットの中でも景福宮(キョンボックン)、昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮(チャンギョングン)、徳寿宮(トクスグン)の四大王宮と宗廟(チョンミョ)は、朝鮮王朝500年の歴史が宿り、韓国の素晴らしさが感じられる外国人観光客に人気の史跡。いずれの王宮も基本的な構造は似ているように見えますが、歩んできた歴史はそれぞれで、どの王宮に行っても魅力的なところばかり。
今回は朝鮮王朝の興亡の舞台となったソウルの四大王宮や宗廟を巡る、朝鮮時代の悠久の歴史に思いを馳せる旅に皆様をご招待します。
大都市ソウルにはいくつもの王宮が街の真ん中に残っていますが、ひとつの都にこれほど多くの王宮があることに首をかしげる方もいるかもしれません。その訳は、王宮の建造物の修理や国難、あるいは政(まつりごと)を執り行う上で正宮として使っている王宮が使えなくなった場合に備えて別の王宮を作っていたからにほかなりません。そのためソウルにいくつも王宮が建てられ、主に使われる王宮を「法宮」(正宮)、正宮とは別に造られた王宮を「離宮」と呼びました。
すべての王宮は内殿と外殿に分けられ、内殿は王や王妃、王の親族が生活する私的な空間として使われました。また外殿は王が臣下とともに政を執り行ったり、国の行事を催したりするために使われました。外殿には王宮の中心的な建物である正殿をはじめ、王が政を行った便殿、臣下らが仕事を行った建物などが軒を連ねています。この他にも王や王の親族が憩いのひと時を過ごすために造られた池や亭子(あずまや)を配した後苑もあります。
朝鮮時代は官職の階級が18等級に分かれており、その等級を石に刻んで王宮正殿前の石畳中央付近に順に並べたのが品階石(プムゲソク)です。国の行事で、すべての臣下が集まるとき、臣下らは自らの等級の品階石の横に整列しました。正殿に向かって右側が文官、左側が武官となっています。
丹青(タンチョン)とは木造建築物に青、赤、黄、白、黒の5色を基本として様々な模様などを描いたものです。雨風や害虫などから建物を守る効果があり、主に王宮や寺院の建物にこの丹青が施されています。描かれる模様は建物によりさまざまで、丹青には火災や邪気を退ける象徴的な意味も込められています。
朝鮮時代の王宮の中で最初に建てられた景福宮は朝鮮を象徴する法宮です。1395年に完成した景福宮は壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)のときに焼失し、その後約270年間放置された状態でしたが、王室の威厳を高めるため、1865年から再建を開始、朝鮮時代末期の1867年には正殿にあたる勤政殿(クンジョンジョン)などの建物の再建が、翌1868年には一連の再建が完了し、同年国王と王室が景福宮へと再び移御しました。その後日帝強占期(1910~1945年)になると数多くの建物が壊されましたが、1990年から現在(2030年完了予定)まで段階的に復元作業が進められています。景福宮の正門である光化門(クァンファムン)は2010年、本来建っていた場所に韓国伝統の木造建築で再建されました。
光化門の中に入ると、現存する韓国最大の木造建築で、景福宮の中央に建てられている勤政殿が目に入ってきます。勤政殿は歴代の王の即位式や重要な公式行事に使われた建物で、王の権威を象徴する荘厳な姿が印象的な建物です。勤政殿の裏手には王が政を行っていた建物である便殿・思政殿(サジョンジョン)をはじめ、王が日常生活を送っていた寝殿・康寧殿(カンニョンジョン)、王妃の生活空間であった交泰殿(キョテジョン)などがあります。
勤政殿の左手奥、北西方向には国の慶事があった際に宴会が開かれていた大規模な楼閣・慶会楼(キョンフェル)があります。大きな真四角の池の上に建てられた二階建ての楼閣で、景福宮で最も美しい建築物のひとつに数えられています。
昌徳宮(チャンドックン)は1405年朝鮮時代の第3代国王・太宗(テジョン)が景福宮の東に離宮として建てた王宮です。昌徳宮の大きな特徴は自然を利用したその空間の配置にあると言われ、建物や庭をはじめ王宮内の樹木、そして小さな石に至るまで自然と調和した作りとなっています。朝鮮王朝の歴代の王もそんな素晴らしい景色から景福宮よりもここ昌徳宮で過ごすことを好み、朝鮮の王宮の中で最も長きに渡り居を構えていました。昌徳宮はソウルの四大王宮のうち、創建当時の様子が現代に最もよく残されている王宮で、1997年にはユネスコ世界遺産にも登録されました。
王宮の東端には楽善斎(ナクソンジェ)という素朴な造りの建物があり、この建物は朝鮮王朝第24代国王・憲宗(ホンジョン)が後宮(王の側室)のために建てられたものです。またこの建物はソン・イェジン主演で映画化された『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』の主人公・徳恵翁主(トッケオンジュ)が実際に住んでいたところとしても知られています。
山と丘に囲まれた昌徳宮の後苑(フウォン)は、朝鮮時代に造られた王宮の後苑の中でもっとも広く景色が美しいところです。
後苑の建造物も昌徳宮同様、自然に溶け込むような形で建てられており、古の時代、この後苑では国王と臣下が談笑したり、科挙の試験も行われたといいます。後苑にある演慶堂(ヨンギョンダン)という建物は王宮の建築物としては素朴な造りで、朝鮮時代の両班(ヤンバン)と呼ばれた上流階級の家屋を模して建てられ、王や王妃が客人を迎える建物として使われました。
昌徳宮の仁政殿(インジョンジョン)・楽善斎などの建物は自由に観覧できますが、後苑の見学については事前予約が必要で、文化遺産解説士(解説ガイド)の案内によるツアー形式で巡ることになります。後苑観覧ツアーはインターネットまたは現地で直接予約する必要があります。韓国語のほか、日本語・英語・中国語による外国語ガイド(要実施時間帯確認)もあります。
また昌徳宮では毎年春と秋に夜間ツアー「昌徳宮月明かり紀行」が行われています。解説ガイドの案内付きで王宮内を巡りながら昌徳宮の歴史や文化について知ることができ、また伝統芸術公演もお楽しみ頂けます。
* 関連ページ
昌慶宮(チャンギョングン)は朝鮮時代の第9代国王・成宗(ソンジョン)のときに造られた王宮で、国王の母親や祖母など王室の親族が快適に過ごせるよう昌徳宮近くに建てられました。そのため全体的にはこじんまりとした造りとなっており、政を行う場所よりも王室の親族の生活空間を重視した形となっています。王室の親族が暮らしていた場所だけあって、国の政よりも、王の孝行心や親族に対する愛情、王と世継ぎとなる世子(セジャ)との愛憎、王妃と後宮との葛藤など王室の家族模様を巡る逸話が数多く後世に伝えられているのがここ、昌慶宮です。
昌慶宮にある大温室は大韓帝国末期の1909年に建てられた韓国初の西洋式温室です。この温室は日本人が設計しフランスの会社が建てたもので、当時、東洋最大級の植物温室として知られていました。いまではこの瀟洒(しょうしゃ)な大温室はデートスポットやフォトスポットとして人気があります。
およそ500年に渡る朝鮮王朝で二度ほど王宮として使われた徳寿宮(トクスグン)は、元々、慶運宮(キョンウングン)と呼ばれた王宮でした。慶運宮が初めて王宮として使われたのは、壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)後のことで、第14代国王・宣祖(ソンジョ)がここを仮の王宮としました。その後、第26代国王・高宗(コジョン)が慶運宮へ居を移したことで、再び法宮(正宮)として使われることとなりました。高宗が退位させられ、朝鮮最後の王で大韓帝国第2代皇帝・純宗(スンジョン)が即位した際、慶運宮から現在の名称である徳寿宮へと変わりました。
徳寿宮内にある静観軒(チョングァンホン)は宴会を行う場所で、高宗が外交使節などを迎え懇談をする際に使われていました。ロシアの建築家が韓洋折衷の様式で設計した建築物で、「静かに世界を眺める空間」という意味が込められています。その建物の名称からは、国が弱体化していく様子を憂う高宗の姿が目に浮かぶかのようです。
石造殿(ソクチョジョン)は大韓帝国末期の代表的な西洋式建築で、1910年に完成しました。地下1階・地上2階建ての建物で、1階は皇室の公的な空間、2階は皇室一家の生活空間、地下は侍従の部屋となっていました。現在、石造殿の地下は自由に観覧できますが、1階・2階は事前にインターネット予約し解説ガイド付きツアーに参加する形でご観覧頂けます。
* 周辺観光地
宗廟(チョンミョ)は儒学を統治基盤として建国された朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行うための廟です。建物に装飾が施されることなくソウルの四大王宮に比べて単調に見えますが、これは厳かで神聖な雰囲気の場とするため意図的に設計されたものです。宗廟は韓国の伝統的な価値観や歴史的、芸術的価値が認められ、1995年ユネスコ世界遺産に登録されました。
宗廟に入ると、石でできた道が3列に長く伸びているのが見えます。この道は「三道(サムド)」といい、神や王、世継ぎである世子(セジャ)が通った道です。3列の中で一番高く盛り上がっている道は亡くなった王や王妃の霊魂が通る道で「神路(シルロ)」といい、王であってもこの道を通ることはできませんでした。この道の右側は王、左側は世子が通った道で、この三道に沿って進んでいくと、宗廟の象徴である正殿の前にたどり着きます。宗廟に訪れたときは、古の時代から続く習わしに従って神路は踏まないように正殿まで歩いていきましょう。
正殿は横幅が101メートルで、韓国でもっとも間口が広い木造建物です。正殿には朝鮮王朝を打ち立てた太祖(テジョ)をはじめ、19人の王と30人の王妃の位牌が祀られています。朝鮮王朝の王は大韓帝国第2代皇帝の純宗を含めて27人に及びますが、そのうち業績や徳が高い19人の王とその王妃が正殿に祀られています。
正殿に位牌を祀る空間が足りなくなり、正殿の隣に新しく建てられた建物が永寧殿(ヨンニョンジョン)です。永寧殿は正殿と似ていますが、よく見ると屋根の形が異なっている上に、規模も小さく、祀られている位牌の数も34柱と多くありません。主に永寧殿には目立った業績がない王や、在位期間が短かった王の位牌が祀られています。
現在でも宗廟では祭祀を執り行う宗廟大祭が行われています。毎年5月の第1日曜日には宗廟大祭が行われ、このときに演奏される音楽と踊りを宗廟祭礼楽といいます。宗廟祭礼楽も宗廟同様、ユネスコにその歴史的価値を認められ、2001年「宗廟祭礼および宗廟祭礼楽」としてユネスコ人類無形文化遺産に登録されました。
宗廟は毎週土・日曜日や公休日、毎月最終水曜日に限り敷地内を自由に観覧できます。これ以外の平日は文化遺産解説士(解説ガイド)の案内によるツアーに参加しなければなりません。なお、ガイドツアーには韓国語をはじめ、日本語・英語・中国語での外国語ツアー(実施時間要確認)もありますので、予めホームページでチェックしておくことをお忘れなく。
* 関連ページ
景福宮、昌徳宮(後苑を含む)、昌慶宮、徳寿宮の4大王宮と宗廟が割安で観覧できるチケットで、各王宮や宗廟の入場券販売窓口で購入できます。統合観覧券は10,000ウォンで、購入日から3ヶ月間有効です。
統合観覧券には昌徳宮の後苑の料金も含まれていますが、後苑を観覧するにはインターネットで予約をするか、現地に行って直接予約をする必要があります(註:昌徳宮後苑特別観覧のネット予約に際しては、システム上、一旦料金を徴収する形となります。宮闕統合観覧券にはすでに後苑観覧料金も含まれていますので、宮闕統合観覧券をお持ちの方は昌徳宮後苑特別観覧の当日、身分証とともに宮闕統合観覧券をご提示いただくと、ネット予約時に徴収された昌徳宮後苑特別観覧の料金を払い戻しいたします)。
ソウル四大王宮と宗廟では外国語が可能な文化遺産解説士が同行し、殿閣について分かりやすく説明してくれるプログラムを実施しています。専門家の解説ガイドを希望する方は各王宮のホームページにアクセスし外国語のツアーガイドをチェック!料金は無料(ただし昌徳宮の後苑は別途料金必要)で、日本語のほか英語・中国語などでもガイドが可能です。各外国語ガイドの実施時間は王宮・言語ごとに決められていますので、ホームページなどで前もって確認し予約が必要な場合は事前予約(景福宮・昌慶宮・徳寿宮の外国語ガイドは個人参加の場合、予約必要なし)し、指定の時刻に合わせてツアーにご参加ください。
※昌徳宮の後苑は解説ガイド付きのツアーでのみ観覧可能です。
景福宮・昌徳宮・昌慶宮の各王宮では毎年定期的に夜間特別観覧が行われています(昌徳宮月明かり紀行とは別途実施)。夜間特別観覧の期間中は午後10時まで各王宮の観覧ができ、外国人の方はインターネットまたは電話で事前予約が可能です。なお各王宮の夜間特別観覧の実施期間は毎年異なるため、観覧をご希望の方は各王宮の公式ホームページなどで詳細をご確認の上、お申込み下さい。
※上記の内容は2022年5月現在の情報です。今後変更されることがありますのでお出かけ前に必ずご確認ください。